》をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間であり、体系や思想を持たぬ自分の感受性を、唯一所に沈潜することによって傷つくことから守ろうとする走馬燈のような時の場所のめまぐるしい変化だけが、阿呆の一つ覚えの覘《ねら》いであった。だから世相を書くといいながら、私はただ世相をだしにして横堀の放浪を書こうとしていたに過ぎない。横堀はただ私の感受性を借りたくぐつとなって世相の舞台を放浪するのだ、なんだ昔の自分の小説と少しも違わないじゃないかと、私は情なくなった。
「いや、今日の世相が俺の昔の小説の真似をしているのだ」
 そう不遜に呟いてみたが、だからといって昔のスタイルがのこのこはびこるのは自慢にもなるまい。仏の顔も二度三度の放浪小説のスタイルは、仏壇の片隅にしまってもいいくらい蘇苔が生えている筈だのに、世相が浮浪者を増やしたおかげで、時を得たりと老女の厚化粧は醜い。
 そう思うと、もう私の筆は進まなかったが、才能の乏しさは世相を生かす新しいスタイルも生み出せなかった。思案に暮れているうちに年も暮れて
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