くした。断られてみれば闇屋もふと恥しい商売なのであろうか。
老訓導は重ねて勧めず、あわてて村上浪六や菊池幽芳などもう私の前では三度目の古い文芸談の方へ話を移して、暫らくもじもじしていたが、やがて読む気もないらしい書物を二冊私の書棚から抜き出すと、これ借りますよと起ち上り、再び防空頭巾を被って風のように風の中へ出て行った。
風はなお吹きやまず、その人の帰って行く十町の道の寒さを私は想ったが、けれども哀れなその老訓導にはなお八千円の金はあり、私には五千円もないのかと思えば、貧乏同志形影相憐むとはいうものの、どちらが形か影かと苦笑された。そしてふと傍の新聞を見れば、最近京都の祇園町では芸妓一人の稼ぎ高が最高月に十万円を超えると、三段抜きの見出《みだし》である。
国亡びて栄えたのは闇屋と婦人だが、闇屋にも老訓導のような哀れなのがあり、握り飯一つで春をひさぐ女もいるという。やはり栄えた筆頭は芸者に止めをさすのかと呟いた途端に、私は今宮の十銭芸者の話を聯想したが、同時にその話を教えてくれた「ダイス」のマダムのことも想い出された。「ダイス」は清水町にあったスタンド酒場《バア》で、大阪の最初の空
前へ
次へ
全67ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング