めてポン引の面白さがわかったと、言っとりましたがね。あんたも社会の表面《うわべ》の綺麗ごとばかし見ずに、ああいう男の話を聴いて、裏面も書いて見たらいい小説が生れるがなア」
「ふーん。そりゃ惜しいことをしたね」自分の細君に客を取らせているあの男は、嫉妬というものをどんな風に解決しているのかと、ふと好奇心が湧いた。
「いやそれよりも……」と主人は天婦羅を私の前に載せながら、「――あんたにいいタネをあげましょうか」
「どうぞ。いいタネって何……? アナゴ……? 鮹《たこ》かな」
「いえ、天婦羅のタネじゃありませんよ。あはは……。小説のタネですよ」
 そう言って、そわそわと二階へ上って行った。天婦羅が揚るのも忘れて、何を取りに行ったのかと思っていると、やがて油紙に包んだものを持って降りて来た。紐をほどいて、
「これです。一寸珍らしいもんですよ」
 見れば阿部定の公判記録だった。
「ほう? こんなものがあったの。どうしてこれを……」手に入れたのかと訊くと、
「まアね」と赧くなって眼をしょぼつかせていた。
「借りていい」
「その代り大事に読んで下さいよ。何《なん》しろ金庫の中に入れてるぐらいだから
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