あった。これは書けると、作家意識が酔い、酒の酔は次第に冷めて行った。
 丁度そこへ閉っていたドアを無理矢理あけて、白いズボンが斬り込むように、
「一杯だけでいい。飲ませろ」とはいって来た。左翼くずれの同盟記者で大阪の同人雑誌にも関係している海老原という文学青年だったが、白い背広に蝶ネクタイというきちんとした服装は崩したことはなく、「ダイス」のマダムをねらっているらしかった。
 私を見ると、顎を上げて黙礼し、
「しんみりやってる所を邪魔したかな」とマダムの方へ向いた。
「阿呆らしい。小説のタネをあげてましてん。十銭芸者の話……」とマダムが言いかけると、
「ほう? 今宮の十銭芸者か」と海老原は知っていて、わざと私の顔は見ずに、
「――オダサク好みだね。併し君もこういう話ばっかし書いているから……」
「発売禁止になる……」と言い返すと、いやそれもあるがと、注がれたビールを一息に飲んで、
「――それよりもそんな話ばかし書いているから、いつまでたっても若さがないと言われるんだね」そう言い乍ら突き上げたパナマ帽子のように、簡単に私の痛い所を突いて来た。
「いや、若さがないのが僕の逆説的な若さですよ。――僕にもビール、あ、それで結構」
「青春の逆説というわけ……?」発売禁止になった私の著書の題は「青春の逆説」だった。
「まアね、僕らはあんた達左翼の思想運動に失敗したあとで、高等学校へはいったでしょう。左翼の人は僕らの眼の前で転向して、ひどいのは右翼になってしまったね。しかし僕らはもう左翼にも右翼にも随いて行けず、思想とか体系とかいったものに不信――もっとも消極的な不信だが、とにかく不信を示した。といって極度の不安状態にも陥らず、何だか悟ったような悟らないような、若いのか年寄りなのか解らぬような曖眛な表情でキョロキョロ青春時代を送って来たんですよ。まア、一種のデカダンスですね。あんた達はとにかく思想に情熱を持っていたが、僕ら現在二十代のジェネレーションにはもう情熱がない。僕はほら地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまくでしょう。これはね、曖眛な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやってるんですよ。人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。左翼思想よりも、腹をへらしている人間のペコペコの感覚の方が信ずるに足るというわけ。
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