終戦前後
織田作之助

 小は大道易者から大はイエスキリストに到るまで予言者の数はまことに多いが、稀代の予言狂乃至予言魔といえば、そうざらにいるわけではない。まず日本でいえば大本教の出口王仁三郎などは、少数の予言狂、予言魔のうちの一人であろう。
 まことにこの出口王仁三郎という人の生涯と、そのおびただしい予言とは、切り離して考えられぬ位である。ところが、いかに稀代の予言狂とはいえ獄中にあっては、予言癖を発揮する自由がなくなってしまって淋しいことであろうと思っていたら、さすがに雀百まで踊忘れずである。王仁三郎旦那は、取調べに当った検事に向って、
「昭和二十年の八月二十日には、世界に大変動が来る。この変動は日本はじまって以来の大事件になる」
 と予言して、検事に叱り飛ばされたということである。
 私は予言というものを大体に於て信じない方であるが、この話を今年の六月頃に聴いた時、何となく「昭和二十年八月二十日」というものを期待するようになった。
 六月といえば、大阪に二回目の大空襲があった月で、もうその頃は日本の必勝を信ずるのは、一部の低脳者だけであった。政府や新聞はしきりに必勝論を唱えていたが、それはまるで低脳か嘘つきの代表者が喋っているとしか思えなかった。
 国民の大半は戦争に飽くというより、戦争を嫌悪していた。六月、七月、八月――まことに今想い出してもぞっとする地獄の三月であった。私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。「昭和二十年八月二十日」という日を、まるで溺れるものが掴む藁のように、いや、刑務署にいる者が指折って数える出獄日のように、私は待っていた。
 人にこのことを話すと、
「八月二十日にいいことがあるというのか。ふーむ。八月二十日といえば勝札の抽籤の発表のある日じゃないか」
 しかし、そう言いながら、誰もかれも何となく「八月二十日を待とう」という気持になっていた。無理もない。政府と新聞の言うことが悉く信ずるに足らないとすれば、せめて獄中の予言狂のあやしげな予言を信ずるより外に、何を信じていいだろうか。
 例えば、広島に原子爆弾が出現した時、政府とそして政府の宣伝係の新聞は、新型爆弾怖るるに足らずという、あらぬことを口走っている。そしてこれを信じていた長崎の哀れな人々は、八月二十日を待たずに死んで行ったではないか。
 原子爆弾と前後してソ聯の参戦があった。その発表をきいた時、私は将棋を想いだした。高段者の将棋では王将が詰んでしまう見苦しいドタン場まで指していない。防ぎようがないと判ると潔よく「もはやこれまで」と云って、駒を捨てるのが高段者のたしなみである。
「日本も遂にもはやこれまでと言って駒を捨てる時が来たな」
 と、私は思った。その時期はあと十日、八月二十日だ、しかし、この十日を生き伸びることはむずかしいわいと、私は思案した。
 ところが、戦争の終ったのは、八月十五日であった。その朝、隣組の義勇隊長から義勇隊の訓練があるから、各家庭全員出席すべしといって来た。
「どんな訓練ですか」
「第一回だから、整列の仕方と、敬礼の仕方を教えて、あとは講演です」
 と、いう。
「僕は欠席します。整列や敬礼の訓練をしたり、愚にもつかぬ講演を聞いたりするために、あと数日数時間しかもたぬかも知れない貴重な余命を費したくないですからね、整列や敬礼が上手になっても、原子爆弾は防げないし、それに講演を聴くと、一種の講演呆けを惹き起しますからね、呆けたまま死ぬのはいやです」
 私は隊長にそう答えると隊長はあきれた非国民もいるものだ、こういう非国民が隣組にいるのは心外であるという意味のことを言って、カンカンになって帰って行った。それと行きちがいに、また隣組から、今日の昼のニュースを聞けと言って来た。
 畏れ多い話だが、玉音は録音の技術がわるくて、拝聴するのが困難であったが、アナウンサーのニュースを聞いているうちに、
「あッ、戦争が終ったのだ!」
 と、直感された。
 さすがの王仁三郎も五日間おくれてしまったわけだと、私は思った。しかし、彼は戦争が十五日に終ったことを聴いて、自分の予言を間違ったと思ったであろうか、それとも当ったと思ったであろうか、彼の言分を聴いてみたいと思った。
 直ちに知人を訪問すると、
「大変なことになりましたが、命だけは助けていただきました」
 と、知人はいう。
 たしかに、軍部は国民を皆殺しにしようと計画していたのだが、聖上陛下が国民の生命をお救い下すったのであると、私は思った。
 知人の家で話をしていると、表を子供たちが、
「――兵隊さんのおかげです……」
 という歌を、歌いながら通って行った。
「皮肉な歌ですね。たしかに兵隊のおかげですよ」
 町へ出ると、車内や駅や
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