た。
いつか狭霧が晴れ、川音が陽の光をふるわせて、伝わって来た。女のいかつい肩に陽の光がしきりに降り注いだ。男じみたいかり肩が一層石女を感じさせるようだと、見ていると、突然女は立ちすくんだ。
見ると隣室の男が橋を渡って来るのだった。向うでも見つけた。そして、いきなりくるりと身をひるがえして、逃げるように立ち去ってしまった。ひどくこせこせした歩き方だった。それがなにかあわれだった。
女は特徴のある眇眼を、ぱちぱちと痙攣させた。唇をぎゅっと歪めた。狼狽をかくそうとするさまがありありと見えた。それを見ると、私もまた、なんということもなしに狼狽した。
やがて女は帯の間へさしこんでいた手を抜いて、不意に私の肩を柔かく敲いた。
「私を尾行しているのんですわ。いつもああなんです。なにしろ、嫉妬《りんき》深い男ですよって」
女はにこりともせずにそう言うと、ぎろりと眇眼をあげて穴のあくほど私を見凝めた。
私は女より一足先に宿に帰り、湯殿へ行った。すると、いつの間に帰っていたのか、隣室の男がさきに湯殿にはいっていた。
ごろりとタイルの上に仰向けに寝そべっていたが、私の顔を見ると、やあ、と妙に威勢のある声とともに立ち上った。
そして、私のあとから湯槽へはいって来て、
「ひょっとしたら、ここへ来やはるやろ思てました」
と、ひどく真面目な表情で言った。それでは、ここで私を待ち伏せていたのかと、返事の仕様もなく、湯のなかでふわりふわりからだを浮かせていると、いきなり腕を掴まれた。
「彼女はなんぞ僕の悪ぐち言うてましたやろ?」
案外にきつい口調だった。けれど、彼女という言い方にはなにか軽薄な調子があった。
「いや、べつに……」
「嘘言いなはれ。隠したかてあきまへんぜ。僕のことでなんぞ聴きはりましたやろ。違いまっか。僕のにらんだ眼にくるいはおまっか。どないだ(す)? 聴きはれしめへんか。隠さんと言っとくなはれ」
ねちねちとからんで来た。
私は黙っていた。しかし、男は私の顔を覗きこんで、ひとりうなずいた。
「黙ったはるとこ見ると、やっぱり聴きはったんやな。――なんぞ僕のわるいことを聴きはったんやろ。しかし、言うときまっけどね。彼女の言うことを信用したらあきまへんぜ。あの女子《おなご》は嘘つきですよってな。わてはだまされた、わては不幸な女子や、とこないひとに言いふらすのが彼女の
前へ
次へ
全14ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング