輪をかけた脱俗振りで、対局中むつかしい局面になると、
「さあ、おもろなって来た。花田はん、ここはむつかしいとこだっせ。あんたも間違えんようしっかり考えなはれや」と相手をいたわるような春風駘蕩の口を利いたりした。
 けれども、対局場の隣の部屋で聴いていると、両人の「ハア」「ハア」というはげしい息づかいが、まるで真剣勝負のそれのような凄さを時に伝えて来て、天龍寺の僧侶たちはあっと息をのんだという。それは二人の勝負師が無我の境地のままに血みどろになっている瞬間であった。
 坂田の耳に火のついたような赤ん坊の泣き声がどこからか聴えて来る瞬間であった。
 そして坂田はその声を聴きながら、再び負けてしまったのである。



底本:「聴雨・蛍 織田作之助短篇集」ちくま文庫、筑摩書房
   2000(平成12)年4月10日第1刷発行
入力:桃沢まり
校正:松永正敏
2006年7月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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