。敗将語らずと言うが、その敗将が語ったのがこの語であった。無学文盲で将棋のほかには全くの阿呆かと思われる坂田が、ボソボソと不景気な声で子供の泣き声が好きだという変梃な芸談を語ったのである。なにか痛ましい気持がするではないか。悲劇の人をここに見るような気すらする。
 その坂田のことを、私はある文芸雑誌の八月号に書いたのだ。その雑誌が市場に出てからちょうど一月が経とうとしているが、この一月私はなにか坂田に対して済まぬことをした想いに胸がふさがってならなかった。故人となってしまった人というならまだしも、七十五歳の高齢とはいえ今なお安らかな余生を送っている人を、その人と一面識もない私が六年前の古い新聞の観戦記事の切り抜きをたよりに何の断りなしに勝手な想像を加えて書いたというだけでも失礼であろう。しかも私はその人の古傷にさわることを敢て憚らなかったのである。それどころか、その人の弱みにつけ込んだような感想をほしいままにした個所も多い。合駒を持たぬ相手にピンピンと王手王手を掛けるようなこともした。いたわる積りがかえってその人の弱みをさらけ出した結果ともなってしまったのだ。その人は字は読めぬ人だ、よ
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