声には、格別子供が好き嫌いやいうわけやおまへんが、心が惹かれてなりまへん」という坂田の詞もふと想いだされた。
 子供の泣き声を聴いていると、自然に心が浄まり、なぜか良い気持になって来るというのである。が、なぜ良い気持になるのか、それは口ではいえないし、またわかってもいないという。坂田自身にわからぬくらいゆえ、無論私にもわからない。けれど、私はただわけもなしに子供の泣き声に惹きつけられるというこの詞から、坂田の運命の痛ましさが聴えて来るようにふと思うのである。親子五人食うや呑まずの苦しい暮しが続いた恵まれぬ将棋指しとしての荒い修業時代、暮しの苦しさにたまりかねた細君が、阿呆のように将棋一筋の道にしがみついて米一合の銭も稼ごうとせぬ亭主の坂田に、愛想をつかし、三人のひもじい子供を連れて家出をし、うろうろ死に場所を探してさまようたが、背中におぶっていた男の子がお父っちゃん、お父っちゃんと父親を慕うて泣いたので、死に切れずに戻って来たという話を、私が想いだすからであろうか。その時の火のついたような子供の泣き声が坂田自身の耳の底にジリジリと熱く燃え残っている筈だと、思うからであろうか。ああ、有難
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