のと同時に、杉山節子が第一スタジオから出て来た。
「やア」
「あらッ」
「トランク持って来ました」
「まア」
 節子は思わず白崎の手を握った。甘い歌を歌ったあとなので、そんな動作が自然に出たのだろうか。たしかに仕事のあとで昂奮していた。節子は生々と頬を染めながら、
「このトランクには、音楽会に要るイブニングや楽譜がはいってましたの。これから、音楽会へも出られますわ。ほんとうに、ありがとうございました。ほんとにお世話ばかし掛けて……」
「いやア。お礼いわれるほどの……。第一、僕が京都駅でうっかりしてたのが悪かったのですよ。しかし、もし僕にお礼して下さるのなら、これからあなたの音楽会の切符を送って下さいませんか。僕はそそっかしいので、あなたの音楽会の広告が出ていても、うっかり見逃しそうですから……」
「はあ。でも、歌はおきらいなのでしょう?」
 微笑していた。
「いや、あれは取消しです。速記録から除いて貰いましょう。本員の失言でした」
「まア」
「あはは……。僕いま、親父の出している変てこな雑誌の編集を手伝っていて、実は音楽どころじゃないんです」と、白崎はまたまずいことを言いだしたが、しか
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