駅の地下鉄の構内に向いた。
そして構内に蠢いている浮浪者の群れの中にはいった赤井は、背中に背負っていた毛布をおろしてその中にくるまると、ごろりと横になった。すると、かたわらに顫えていた十位の女の子が、
「おっちゃん、うちも中イ入れて」
と、寄って来た。
「よっしゃ、はいりイ。寒いのンか。さア、はいりイ」
「おおけに、ああ、温いわ。――おっちゃん、うちおなかペコペコや」
「おっさんもペコペコや。パン食べよか」
「おっちゃん、パン持ったはるのン?」
「うん。持ってるぜ」
「ああ、ほんまに。うちに一口だけ噛らせて」
「一口だけ言わんと、ぎょうさん(沢山)食べ!」
ほろりとした声になった。女の子は夢中になって、ガツガツと食べると、
「おっちゃん、うちミネちゃん言うねん。年は九つ」
いじらしい許りの自己紹介だった。
「ふーん。ミネちゃんのお父つぁんやお母はんは……?」
きくと、ミネ子はわっと泣きだした。
「判った、判った。もう泣きな、泣きな。ミネちゃんが泣くと、おっさんまで泣きとなる」
しかし、なかなか泣きやまなかった。
「難儀やなア。もう泣きな。おっさんが今おもろい話聴かしたるさかい、涙拭いて聴きや」
そして、小声で落語を語りだすと、ミネ子ははじめ面白そうに聴いていたが、しかし直ぐシクシクと泣きだした。赤井の声も次第に涙を帯びて来て、半泣きの声になり、もうあとが続かなかった。そんな心の底に、生死もわからぬ妻子のことがあった。
「おい、巧いぞ。もっとやってくれ」
浮浪者の中から、声が来た。
「阿呆いえ。そんな殺生な注文があるか。こんな時に、落語やれいうのは、葬式の日にヤッチョロマカセを踊れいうより、殺生やぜ」
言いながら、涕き声になると、ひしとミネ子を抱きしめて、
「ミネちゃん、おっさんの子になるか」
「なる。おっちゃん、ミネちゃんのお父ちゃんやな。ほな、ミネちゃんのお母ちゃんは……?」
「…………」
赤井は鉛のように寂しくだまっていた。眼の奥がじーんと熱くなり、そして、かつての落語家の頬をポトリと伝う涙は、この子の母親になる筈の自分の妻と、そしてこの子のきょうだいになる筈の自分の子を、明日はどこへ探しに行けば良いのかという頼り無さだった。
夜が明けると、赤井はミネ子と二人で、大阪中を歩きまわった。
一方、白崎も何となくそわそわと探したい人があった。が、その人は京都に住んでいる声楽家だというだけで、まるで見当がつかなかった。
そして、月日が流れた。
明日
大阪駅の前に、ずらりと並んだ靴磨きの群れ、その中に赤井はミネ子とささやかな靴磨きの店を張っていた。
大阪中の寄席は殆んど焼けてしまっていたので、二流の落語家の赤井にはもう稼げる寄席はなかったし、よしんば寄席があっても、もう落語は語りたくなかった。だから、二人の口を糊するには、靴磨きにでもなるか、市電の切符を売って歩くかの二つだった。靴磨きは、隊におった時毎日上官の靴を磨かされていたので、経験がある。一つには、大阪で一番雑閙のはげしい駅前におれば、ひょっとして妻子にめぐり会えるかも知れないという淡い望みもあった。
ある日、いつものように駅前にうずくまっていると、いきなりぬっと横柄に靴を出した男がある。
「へい」
と、磨きだして、ひょいとその客の顔を見上げた途端、赤井はいきなり起ち上って、手にしていたブラシで、その客の顔を撲った。かつての隊長だったのだ。
「おい、何をするか。乱暴な」
隊長は驚いたが、
「あッ、貴様は赤井だな」
と判ると、いきなり胸倉を掴んだ。
「おや、やる気やな。面白い! 撲れるものなら撲ってみろ! しかし、言っとくが、もし、俺の身体に指一本でも触れてみやがれ……」
赤井は、なんだ、なんだと集まって来た弥次馬を見廻しながら、
「この人達に、貴様が戦争の終った日に、何と何とをトラックで運ばせたか、一部始終ばらしたるぞ!」
そう言うと、隊長は思わず真赧になって、唸っていたが、やがて、
「覚えとれ!」
そして、そわそわと逃げるように立ち去った。顔に靴墨の跡を残したまま。
「阿呆! 貴様のような阿呆のこと、いつまでも覚えてられるか。あはは……」
赤井はサバサバとした笑いを、久し振りに笑った。
やがて、一日の仕事が終って、日が暮れると、赤井はミネ子の手をひいて、南炭屋町のわが家の焼跡に作った壕舎へ帰って行った。
昼間の出来事で溜飲は下がったものの、しかし、夜の道は暗く寂しく、妻や子は死んでいるのか生きているのかと思えば、足は自然重かった。
途中にあるバラックから灯が洩れ、ラジオの歌が聴こえていた。
「あ、ラジオが聴こえてる」
と、ミネ子は立ち停った。歌は「荒城の月」だった。
ミネ子のつきあいで聴いているうちに、
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