さっぱりワヤ」になった人のような顔をしていなかった。聴けば他アやんは頼っていく縁故先が無いわけでもなかったが、縁故疎開も集団疎開もしようとせず、一家四人、焼け残った防空壕の中で生活しているのである。
「防空壕《ここ》やったら、あんた、誰に気兼遠慮もいらんし、夜空襲がはいっても、身体|動《いの》かす世話はいらんし、燈火管制もいらんし、ほんま気楽で宜しあっせ」
 そして、わては最後までこの大阪に踏み止って頑張りまんねんと、他アやんは言い、
「メリ助が怖うてシャツは着られまっかいな。戦争済んだら、またここで喫茶店しまっさかい、忘れんと来とくなはれ」
 実に朗かなものであった。「メリ助が怖うてシャツは着られまっかいな」というメリ助とは、メリケンのことであろう。メリケンが怖くてはメリヤスのシャツも着れないという意味の洒落にちがいないと、私はかねがね他アやんが洒落の名人であったことを想い出し、治に居て乱を忘れずとはこのことだと呟いているところへ、只今と帰って来たのは他アやんの細君であった。町会の事務所へ行って来た帰りだと細君は言い、そして、町会の事務所も町会長の家も焼けてしまったが、しかし町会長の梅本さん一家はやはり疎開しようとせず、近くの教会が半焼だったのを倖い、そこを仮の事務所として、その中で一家全部寝泊りしながら町会の事務を取ったり世話をしたりしているのだと説明したあと、
「梅本はんとこは、なんし町会長しやはる位だっさかい、お金は馬に食わすほど持ったはりますし、何もそんな不自由な目エしやはらんと、どこぞ田舎で家買いなはったら良かりそうなもんでっけど、責任があるいうて、一ぺんも家探しに行きはらんと、あないしてずっとあの中に頑張って、町会のことしたはりまんね。よそ[#「よそ」に傍点]とえらい違いだすわ。よそ[#「よそ」に傍点]の町内では、あんた、町会長のズボラな人がいやはるもんやさかい、証明書書いて貰うのに二日も三日も掛る、疎開した田舎から出て来たら宿屋に泊って貰わんならん言うてブツブツ文句言うたはる所もあるいうことでっせ。――あ、先生にお湯も出さんと。今沸かしまっさかい、お白湯《さゆ》でも飲んで行っとくなはれ」
 細君はカンテキでも取りに行くのであろう、防空壕の中へはいり掛けたので、私はあわてて停めて、そして帰ろうとすると、他アやんは、
「えらいお愛想なしだなア。先生、こんな鰻の寝間《ねま》(床《とこ》)みたいな小っちゃいアバラ屋でっけど、また寄っとくなはれや」
 と言った。
 他アやんと別れ、やがて千日前の大阪劇場の前まで来た。空襲のあった二、三日後、ここの支配人から聴いた話によれば、空襲の夜が明けると間もなく、一人の従業員が支配人の所へ来て、大阪劇場の従業員の中で罹災した者があれば、これを渡してくれと言って差し出したのは、二百円の見舞金であったということである。その金額はその従業員の月給の額をはるかに超えていた。支配人は感激して君の方は無事だったのかと訊くと、
「いやうちも焼かれました」と言ったという。
 この話を想い出しながら、劇場の前を過ぎた途端、名前を呼ばれた。振り向くと、三ちゃんであった。三ちゃんは波屋書店の主人で、私が中学生時代からずっと帳付けで新刊書を買うていたのは三ちゃんの店であったし、三ちゃんもまた私の新しい著書が出ると、随分いい場所に陳列して売ってくれていたし、三ちゃんの店が焼けたことは感慨深いものがあり、だから、顔を見るなり、挨拶もそこそこにその事を言った。
「あんた所が焼けたので、雑誌が手にはいらんようになったよ」
 すると三ちゃんは、滅相もないという口つきを見せて、
「何言うたはりまんねん。一ぺん焼かれたくらいで本屋やめますかいな。今親戚のところへ疎開してまっけど、また大阪市内で本屋しまっさかい、雑誌買いに来とくなはれ」と、三ちゃんは既に捲土重来の意気込みであった。そして、私をはげますように、
「織田はん、また夫婦善哉書きなはれ」と言ったので、私は、
「サアナア、しかし、夫婦善哉といえば、あの法善寺の阿多福の人形は助かったらしい。疎開していたから、きっとどこかで無事に残ってる筈だよ。その行方を探す小説を書くかな。いや、それより、地蔵さんの話を書こう思ってる」と言った。すると、三ちゃんは、
「へえ? 地蔵さん? どこの地蔵さんだす」
 と訊いたので、私は次のような長い立ち話をした。

 B29[#「29」は縦中横]の暴虐爆撃の中で、私が最も憤激に堪えぬのは、彼等が日本の伝統を破壊しようとしていることである。その現われの一つは神社、仏閣へ焼夷弾を落したことだ。大阪の神社、仏閣も相当被害を蒙った。そしてまた、昔なつかしい民間信仰の対象である石地蔵の多くが同じ目にあった。
 私は子供の頃からあの大阪の年中行事の一つ
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