ない。一分間でも早く書き上げて、近所の郵便局から送ってしまうと、そのまま蒲団の中にもぐり込んで、死んだようになって眠りたい。ただそのことだけを想い続けていた。締切を過ぎて、何度も東京の雑誌社から電報の催促を受けている原稿だったが、今日の午後三時までに近所の郵便局へ持って行けば、間に合うかも知れなかった。
「三時、三時……」
 三時になれば眠れるぞと、子供をあやすように自分に言いきかせて、――しまいには、隣りの部屋の家人が何か御用ですかとはいって来たくらい、大きな声を出して呟いて、書き続けて来たのだった。
 ところが、三時になってもまだ机の前に坐っていた。終りの一枚がどう書き直しても気に入らなかったのだ。
 これまで新吉は書き出しの文章に苦しむことはあっても、結末のつけ方に行き詰るようなことは殆どなかった。新吉の小説はいつもちゃんと落ちがついていた。書き出しの一行が出来た途端に、頭の中では落ちが出来ていた。いや結末の落ちが泛ばぬうちは、書き出そうとしなかった。落ちがあるということは、つまりその落ちで人生が割り切れるということであろう。一葉落ちて天下の秋を知るとは古人の言だが、一行の落ちに
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