て、驚《おどろ》かぬ者はなかった。もっとも一代の方では寺田の野暮《やぼ》な生真面目《きまじめ》さを見込んだのかも知れない。もともと酒場遊びなぞする男ではなかったのだが、ある夜|同僚《どうりょう》に無理矢理|誘《さそ》われて行き、割前勘定になるかも知れないとひやひやしながら、おずおずと黒ビールを飲んでいる寺田の横に坐った時、一代は気が詰りそうになった。ところが、翌《あく》る日から寺田は毎夜一代を目当てに通って来た。置いて行く祝儀《チップ》もすくなく、一代は相手にしなかったが、十日目の夜だしぬけに結婚《けっこん》してくれと言う。隣《となり》のボックスにいる撮影所の助監督《じょかんとく》に秋波を送りながら、いい加減に聴き流していたが、それから一週間毎夜同じ言葉をくりかえされているうちに、ふと寺田の一途さに心|惹《ひ》かれた。二十八|歳《さい》の今日まで女を知らずに来たという話ももう冗談《じょうだん》に思えず、十八の歳《とし》から体を濡《ぬ》らして来た一代にとっては、地道な結婚をするまたとない機会かも知れなかった。思えば自分ももう二十六、そろそろ身を堅《かた》めてもいい歳だろう。都ホテルや京都ホテルで嗅《か》いだ男のポマードの匂《にお》いよりも、野暮天で糞真面目《くそまじめ》ゆえ「お寺さん」で通っている醜男《ぶおとこ》の寺田に作ってやる味噌汁《みそしる》の匂いの方が、貧しかった実家の破れ障子をふと想《おも》い出させるような沁々《しみじみ》した幼心のなつかしさだと、一代も一皮|剥《は》げば古い女だった。風采は上らぬといえ帝大《ていだい》出だし笑えば白い歯ならびが清潔だと、そんなことも勘定に入れた。
ところが寺田の両親が反対した。「お寺さん」という綽名《あだな》はそれと知らずにつけられたのだが、実は寺田の生家は代々|堀川《ほりかわ》の仏具屋で、寺田の嫁《よめ》も商売柄《しょうばいがら》僧侶《そうりょ》の娘《むすめ》を貰《もら》うつもりだったのだ。反対された寺田は実家を飛び出すと、銀閣寺|附近《ふきん》の西田町に家を借りて一代と世帯《しょたい》を持った。寺田にしては随分《ずいぶん》思い切った大胆《だいたん》さで、それだけ一代にのぼせていたわけだったが、しかし勘当《かんどう》になった上にそのことが勤め先のA中に知れて免職《めんしょく》になると、やはり寺田は蒼くなった。交潤社の客で
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