だった。癌の再発は治らぬものとされているのだ。余り打たぬようにと、医者は寺田の手に鎮痛剤《ちんつうざい》のロンパンを渡《わた》した。モルヒネが少量はいっているらしかった。死ぬときまった人間ならもうモルヒネ中毒の惧れもないはずだのに、あまり打たぬようにと注意するところを見れば、万に一つ治る奇蹟《きせき》があるのだろうかと、寺田は希望を捨てず、日頃《ひごろ》けちくさい男だのに新聞広告で見た高価な短波|治療機《ちりょうき》を取り寄せたり、枇杷《びわ》の葉療法の機械を神戸《こうべ》まで買いに行ったりした。人から聴けば臍《へそ》の緒《お》も煎《せん》じ、牛蒡《ごぼう》の種もいいと聴いて摺鉢《すりばち》でゴシゴシとつぶした。
 しかし一代は衰弱する一方で、水の引くようにみるみる痩《や》せて行き、癌特有の堪え切れぬ悪臭《あくしゅう》はふと死のにおいであった。寺田はもはや恥も外聞も忘れて、腫物《はれもの》一切《いっさい》にご利益《りやく》があると近所の人に聴いた生駒《いこま》の石切まで一代の腰巻《こしまき》を持って行き、特等の祈祷《きとう》をしてもらった足で、南無《なむ》石切大明神様、なにとぞご利益をもって哀《あわ》れなる二十六歳の女の子宮癌を救いたまえと、あらぬことを口走りながらお百度を踏《ふ》んだ帰り、参詣道《さんけいどう》で灸《きゅう》のもぐさを買って来るのだった。それでも一代の激痛は収まらず、注射の切れた時の苦しみ方は生きながらの地獄《じごく》であった。ロンパンがなくなったと気がついて、派出看護婦が近くの医者まで貰いに走っている間、一代は下腹をかきむしるような手つきをしながら、唇《くちびる》を突き出し、ポロポロ涙《なみだ》を流して、のた打ち廻るのだ。世の中にこんな苦痛があったのかと、寺田もともにポロポロ涙を流して、おろおろ見ている。一代は急に、噛《か》んで、噛んで! と叫《さけ》んだ。下腹の苦痛を忘れるために、肩を噛んでもらいたいのだろう。寺田はガブリと一代の肩にかぶりついた。かつては豊満な脂肪《しぼう》で柔かった肩も今は痛々しいくらい痩せて、寺田は気の遠くなるほど悲しかったが、一代ももう寺田に肩を噛まれながら昔《むかし》の喜びはなく、痛い痛いと泣く声にも情痴の響《ひび》きはなかった。やっと看護婦が帰って来たが、のろまな看護婦がアンプルを切ったり注射液を吸い上げたり、腕《う
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