、わざわざ直営店をつくるにも当らないとは、常識で判断してもわかることで、いうまでもなく直営店はより多く薬を売るための手段、いわば全くの営業政策にほかならなかったのだ。
同時にまた、こうも言えるだろう。全国に多くの支店を擁しながら、なおかつ直営店の経営に乗り出すほど、事業は盛大になって来ていた――と。事実、支店の数も何もむやみにつぶしたわけでない証拠に、第一期の募集当時にくらべると、三倍にも増えていたのだ。無論、そのような盛大を来たすには、それ相当の歳月と、苦心がなければならぬ筈だった。効目《ききめ》が卓《すぐ》れていたから、薬がよく売れた、――そんな莫迦《ばか》げたことは、お前も言うまい。
六
――凡《およ》そ何が醜悪だと言っても、川那子メジシン新聞広告ほど、醜悪なものはまたとあるまい。
丹造は新聞広告には金目を惜しまず、全国大小五十の新聞を利用して、さかんに広告を行った。一頁大の川那子メジシンの広告がどこかの新聞に出ていない日は一日としてなかったくらいだ。しかも、単に尨大であるばかりでなく、そのあくどさに於いて、古今東西それに匹敵するものは一つとしてない。
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