新聞に三行広告も出してやった。
無論、全部おれが身銭を切ってしてやったことで、なるほどあとでの返しはそれ相当に受け取りはしたが、当時はなにもそれを当てにしていたわけではない。簡単にいえば親切ずく、――あとで儲けを山分けなどというけちな根性からではさらになかった。
何ごとも算盤《そろばん》ずくめのお前には、そんなおれの親切が腑に落ちかねて、済みません、済みません、一生恩に着ますなんて、泪をこぼさんばかりにしながらも、内心は、こいつどこまで親切な奴だろうと、いくらか呆れていたろう。いや、それに違いあるまい。全くの話、おれ自身にしても、なぜそんなに親切にしてやったのか、はっきりとは判らなかったくらいだ。
朝鮮の花街に残して来たというお千鶴のことをきけば、どうにも不憫《ふびん》で、ここでお前に一儲けさせてやれば、お前もお千鶴を迎えに行くだろう――という気持は無論あった。が、何度も言うようだが、それだけの気持からではない。俗に惚《ほ》れこむというあの気持だった。いや、そういえば、たしかにお前にはひとに惚れこませるだけのものはあった。少なくとも、おれのような人間に……。
例えば、お抱え車夫
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