れによると、過去四ヵ月の間に七十名の貧病者に無料施薬をしたというのである。全国数十万の肺患者のうち、僅か七十名(もっとも、引続きより以上の数に達するかも知れぬが)に施薬しただけのことを、鬼の首でもとったようにでかでかと吹聴するのは、大袈裟だ。
 いまその施薬の総額を見積ると、見舞金が七十人分七百円、薬が二千百円、原価にすれば印紙税共四百二十円、結局合計千二百円が実際に費った金額だ。ところが、この千二百円を施すのに、丹造は幾万円の広告費を投じていることか、広告は最初の一回だけで十分だ。手前味噌の結果報告だけに万に近い広告費を投ずるとは、なんとしてもうなずけぬ……。

 やられてるじゃないか。ちゃんと見抜かれてるじゃないか。いや、何もおれは今更お前の慈善行為にけちをつける気は、毛頭ない。目的はどうであれ、慈善は大いによろしい。広告費の何万円とかも国のためになるような方法で使ったら、一層よかったねなどと、この際言っても、もう追っ付くまい。ただ、おれはこれだけ言って置きたい。おれはそんなお前が急にいやになって来たのだ――と。
 それまでおれは、お前の売名行為を薬を売るための宣伝とばかし思って、黙ってみていたのだが、どうやらそうではなくなったのに、憂鬱《ゆううつ》になってしまったのだ。変に国士を気取ったりして、むしろ滑稽だった。国士という言葉が泣く。
 つまりは、お前は何としても名誉がほしかったのだ。成金の縁者ごのみというが、金のつぎの野心は名誉と昔から相場はきまっている。そう思えば、べつだん不思議でもないわけだが、しかし、そうはっきりと眼の前で見せつけられると、やはりたまらないものだ。
 ことに、お前のやつは、何かをびくびく怖れての所業だ。だから、一層おれはいやだった。成金は金があるというだけで、十分だ。それ以上、なにを望むというのか。金を儲けたという、すさまじい重圧の下で、じっと我慢してりゃ良いのだ。じたばたする必要はないのだ。金があって苦しければ、そっくり国家へ献金すれば良いのだ。じたばたするのは、臆病だ。――おれはもう黙って見ていられなかった。いや、ますます黙したのだ。
 おれはお前を金持ちにしてやるために、随分かげになり、日向《ひなた》になり権謀術策も用いて来たが、その目的も達した以上、もはやおれの出る幕ではない、と思ったのだ。
 おれはおれのしたいことだけを、して来たのだ。これ以上、何のすることがあろうか。それに、もはやそんな風になったお前にいつまでも関り合っていては、ろくなことはない。おれはお前に金を掴まして置いて、さっさと逃げようと考えた。落語に出て来る狸みたいに……。その機会はやがて来た。

 ――さすがのジャーナリズムもその非を悟ったか、川那子メジシンの誇大広告の掲載を拒絶するに至った……。

 お前はすぐ紋附袴で新聞社へかけつけ、
「――広告部長を呼べ!」
 そして広告部長が出て来ると、
「――おれの広告のどこがわるい? お前なぞおれの一言で直ぐ馘首になるんだぞ。おれはお前の新聞に年に八万円払ってるんだ。社長を呼べ! 社長にここへ出ろと言え」
 社長は面会を拒絶した。お前はすごすご帰って、おれに相談した。おれは渋い顔で、
「――じゃ、早速その新聞を攻撃する文章を、広告にしてのせて貰うんだね」
 れいの「川那子丹造の真相をあばく」が出たのは、それから間もなくだ。その時のお前の狼狽《あわ》て方については、もう言った。
 おれはその醜態にふきだし、そして、お前と絶縁した。お前はおれを失うのを悲しんでか、それとも、ほかの理由でか、声をあげて泣きながら、おれにくれるべき約束の慰労金を三分の一に値切った。もっともそれとても一生食うに困らぬくらいの額だったが、おれはなんとなく気にくわず、一年経たぬうちに、その金をすっかり使ってしまった。株だ。ひとに儲けさせるのはうまいが、自身で儲けるぶんにはからきし駄目で、敢えて悪銭とはいわぬが、身につかなかったわけだ。
 一方お前は、おれに見はなされたのが運のつきだったか、世間もだんだんに相手にしなくなり、薬も売れなくなった。もっとも肺病薬にしろ、もっと良い新薬が出て来たし、それに世間も悧巧になるし、あれやこれやで、これまで手をひろげた無理がたたったのだ。
 派手な新聞広告が出来なくなると、お前の名も世間では殆んど忘れてしまった――というほどでなくとも、たしかに影が薄くなって来た。すると、お前はもう一度世間をあっと言わせてやろうと、見込みもない沈没船引揚事業に有金をつぎこんだり、政党へ金を寄附したり、結局だんだん落目になって来たらしいと、はた目にも明らかだった。
 それにしても、まさかおれと別れて五年目の今日、お前が二円の無心にやって来ようとは、――むろん、予想していた、見抜いていた――しかし
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