、わざわざ直営店をつくるにも当らないとは、常識で判断してもわかることで、いうまでもなく直営店はより多く薬を売るための手段、いわば全くの営業政策にほかならなかったのだ。
 同時にまた、こうも言えるだろう。全国に多くの支店を擁しながら、なおかつ直営店の経営に乗り出すほど、事業は盛大になって来ていた――と。事実、支店の数も何もむやみにつぶしたわけでない証拠に、第一期の募集当時にくらべると、三倍にも増えていたのだ。無論、そのような盛大を来たすには、それ相当の歳月と、苦心がなければならぬ筈だった。効目《ききめ》が卓《すぐ》れていたから、薬がよく売れた、――そんな莫迦《ばか》げたことは、お前も言うまい。

       六

 ――凡《およ》そ何が醜悪だと言っても、川那子メジシン新聞広告ほど、醜悪なものはまたとあるまい。
 丹造は新聞広告には金目を惜しまず、全国大小五十の新聞を利用して、さかんに広告を行った。一頁大の川那子メジシンの広告がどこかの新聞に出ていない日は一日としてなかったくらいだ。しかも、単に尨大であるばかりでなく、そのあくどさに於いて、古今東西それに匹敵するものは一つとしてない。
 まず、彼は売薬業者の眼のかたきである医者征伐を標榜《ひょうぼう》し、これに全力を傾注した。「眼中仁なき悪徳医師」「誤診と投薬」「薬価二十倍」「医者は病気の伝播者《でんぱしゃ》」「車代の不可解」「現代医界の悪風潮」「只眼中金あるのみ」などとこれをちょっと変えれば、そのまま川那子メジシンに適用できるような題目の下に、冒頭からいきなり――現代の医者は鬼である。彼等は金儲《かねもう》けのためには義理人情もない云々と書き立て、――それに比べると川那子丹造鑑製の薬は……と、ごたくを並べ、甚しきは医者に鬼の如き角を生やした諷刺画《ふうしが》まで掲載し、なお、飽き足らずに「売薬業者は嘘つきの凝結」などと、同業者にまで八つ当った……。

 こうして写していて、さすがのおれも気恥かしいくらいだ。というのは、お前も知っての通り、この新聞広告はれいによっておれの案だったから。
 無論、新聞に広告を出すほどのことを、なにもおれの案だなどと断るまでもないことだし、また、べつだんおれの智慧を借りなくても誰にも思いつけることだが、しかし、あんなに大胆に、殆んど向う見ずかと思えるくらいには、やはりおれでなくてはやれなかったろう。費用にしろ、よくまあ使ったと思えるくらい、たとえばれいの一万九千円も、薬種問屋の払いに使ったのはそのうちの二割、あとは全部広告費に使ったのだ。二万、三万ではきかなかった。
「――そんなに広告だして、どうするんです? 良い加減にしましょう」
 しまいにはお前も心配……いや、怒りだした。
「――莫迦! むかし新聞で食っていたこともあるというのに、訳のわからぬことをいうな。三千円の広告費で一万九千円の保証金を掴んだ味を忘れたのか。三万円使うても、四万円はいれば文句はなかろう」
 その通りだった。良きにつけ、悪きにつけ、川那子メジシンの名は凡そ新聞を見るほどの人の記憶に、日に新たに強く止まったのだ。六百円の保証金を軈《やが》て千五百円まで値上げしても、なお支店長応募者が陸続……は大袈裟《おおげさ》だが、とにかくあとを絶たなかった一事を以ってしてもわかるように、――むろん薬もおかしいほど売れた。
 効いたから、売れたのではない。いうまでもなく、広告のおかげだ。殆んど紙面の美観を台なしにしてしまうほどの、尨大かつあくどい広告のおかげだ。もっとも年がら年中医者の攻撃ばかしやっていたわけではない。
 そんな芸なしのおれではなかった。……

 ――其の後、売薬規則の改備によって、医師の誹謗《ひぼう》が禁じられると、こんどは肺病全快写真を毎日掲載して、何某博士、何某医院の投薬で治らなかった病人が、川那子薬で全快した云々と書き立てた。世の人心を瞞着《まんちゃく》すること、これに若《し》くものはない。何故か? 曰く、全快写真は殆《ほと》んど八百長である。
 いったい丹造がこの写真広告を思いついたのは、肺病薬販売策として患者の礼状を発表している某寺院の巧妙な宣伝手段に狙いをつけたことに始まり、これに百尺|竿頭《かんとう》一歩をすすめたのであるが、しかし、どう物色しても、川那子薬で全快したという者が見当らなかった。
 そこで、丹造は直営店の乾某がかつて呼吸器を痛めた経験があるを奇貨とし、主恩で縛りあげて、無理矢理に出鱈目《でたらめ》の感謝状と写真を徴発した。これが大正十年、肺病全快広告としてあらわれた写真の嚆矢《こうし》である。
 ついで、彼は全国の支店、直営店へ、肺病相談所の看板を揚げさせると同時に、全快写真を提供した支店、直営店に対しては、美人一人あたり二百円、多数の医師に治療を
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