たものだ。
 病人というものはいったいに正直なものだが、おまけに年寄りで、広告にひきつけられて灸をしに来るというからには、まかりまちがっても、おれの言葉をあやしむことはあるまい。いそいそとして、長風呂にはいり、退屈まぎれに、湯殿へやって来る浴客を掴まえては、世間話、その話の序でには、どこそこでよく効く灸をやっている、日蓮宗の施灸奉仕で、ありがたいことだ、げんにわたしもいま先……と、灸の話が出ることは必定……と、可哀想に長風呂でのぼせてしまう迷惑も考えずに、おれも随分罪な宣伝をやったものだが、これがまた莫迦に当ったのだ。
 前後一週間のうちにいくら儲けたか、いま記憶はないが、大阪に残して来たお千鶴のもとへ、お前がひそかに為替をくんで送金してやったことだけは、さすがのこいつもお千鶴のことは気になると見える、存外殊勝なもんだと、その時感心しただけに、今もおぼえている。もっとも、その金は「売上げ」(とお前は言っていた、つまり収入だ)のなかから、内緒でくすねていたものらしいと、あとでわかった時は、興冷めしたが……。
 とにかく、儲かった。お前は有頂天になり、
「もうおかね婆さんさえしっかり掴まえて置けば一財産出来ますぞ」
 と、変に凄んだ声でおれに言い言いし、働きすぎて腰が抜けそうにだるいと言う婆さんの足腰を湯殿の中で揉んでやったり、晩食には酒の一本も振舞ってやったりして鄭重《ていちょう》に扱っていたが、湯崎へ来てから丁度五日目、
「――ほんまに腰が抜けてしもた」
 と、婆さんは寝ついてしまった。
 あわてて按摩《あんま》を雇ったり、見よう見真似の灸をすえてやったりしたが、追っ付かず、「どんな病気もなおして見せる」という看板の手前、恥かしい想いをしながらこっそり医者をよんで診せると、
「――こりゃ、神経痛ですよ。まあ、ゆっくり温泉に浸って、養生しなさい。温泉灸療法でもやることですな」
 と、知っていたのか、簡単に皮肉られて、うろたえ、まる三日間二人掛りで看病してやったが、実は到頭中風になってしまっていた婆さんの腰が、立ち直りそうにもなかった。
「――これももと言うたら、あんたらがわてをこき使うたためや」
 と、おかね婆さんは大分怪しくなって来た口調でぼそぼそぼやく[#「ぼやく」に傍点]し、宿や医者への支払いは嵩む一方だし、それに、婆さんに寝込まれているのは「医者の不養生」以上に世間にも恰好がわるい話だと、おれは随分くさってしまったが、お前ときてはおれ以上、
「――もう、こうなっては、宿の客ひきをするか、どろんをきめるか、どちらかですな」
 と、何ともいいようのない顔で苦り切っていた。
 宿の客ひきもどろんも、どちらもいずれ劣らずお前らしくて似合っていると、おれはおかしかったが、しかし、まさか婆さんの中風がなおるまで客ひきをするほど殊勝なお前でもあるまいと、ひそかに考えていたところ、案の定、ある日、
「――うさばらしに田辺で遊んで来ますよ」
 と、そわそわ出掛けて行ったきり、宿へ戻って来なかった。
 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわけにもいかず、折柄、
「――古座谷はん、済まへんけど、しし[#「しし」に傍点]さしたっとくなはれんか」
 と、情けない声をだした婆さんの方にかまけて、思い止まり、背中にまわっていつもお前がしてやっていたように、存外思い腋の下を抱え起し、尿をとってやった。ごつごつした身体だった。
 それから、四五日も看病してやったろうか、いよいよ宿や医者への支払いにさし迫られたので、たまりかねて婆さんを背負って、綱不知《つなしらず》から田辺へわたり、そこから船で大阪へ舞い戻るまで、随分おれは情けない目を見た。みなお前のせいだ。

       四

 高津の裏長屋の二階へ帰って四日目におかね婆さんは、息をひきとった。
 身寄りの者もないらしく、また、むかしの旦那だと名乗って出る物好きもなく葬儀万端、二三の三味線の弟子と長屋の人たちの手を借りて、おれがしてやった。長屋の住人の筈のお前は、その時既にどこやら姿をくらましていた。
 ひとにきけば、湯崎より逃げかえった翌日、お千鶴と一緒に、夜逃げしてしまったということだった。ここらあたりから急に悪趣味になって来た「真相をあばく」の時代がかった文章を借りていうと、

 ――さて、お千鶴を道連れに夜逃げをきめこんだ丹造は、流れ流れて故国の月をあとに見ながら、朝鮮の釜山に着いた。
 馴れぬ風土の寒風はひとしおさすらいの身に沁み渡り、うたた脾肉《ひにく》の歎《たん》に耐えないのであったが、これも身から出た錆《さび》と思えば、落魄《らくはく》の身の誰を怨まん
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