来たのだ。これ以上、何のすることがあろうか。それに、もはやそんな風になったお前にいつまでも関り合っていては、ろくなことはない。おれはお前に金を掴まして置いて、さっさと逃げようと考えた。落語に出て来る狸みたいに……。その機会はやがて来た。

 ――さすがのジャーナリズムもその非を悟ったか、川那子メジシンの誇大広告の掲載を拒絶するに至った……。

 お前はすぐ紋附袴で新聞社へかけつけ、
「――広告部長を呼べ!」
 そして広告部長が出て来ると、
「――おれの広告のどこがわるい? お前なぞおれの一言で直ぐ馘首になるんだぞ。おれはお前の新聞に年に八万円払ってるんだ。社長を呼べ! 社長にここへ出ろと言え」
 社長は面会を拒絶した。お前はすごすご帰って、おれに相談した。おれは渋い顔で、
「――じゃ、早速その新聞を攻撃する文章を、広告にしてのせて貰うんだね」
 れいの「川那子丹造の真相をあばく」が出たのは、それから間もなくだ。その時のお前の狼狽《あわ》て方については、もう言った。
 おれはその醜態にふきだし、そして、お前と絶縁した。お前はおれを失うのを悲しんでか、それとも、ほかの理由でか、声をあげて泣きながら、おれにくれるべき約束の慰労金を三分の一に値切った。もっともそれとても一生食うに困らぬくらいの額だったが、おれはなんとなく気にくわず、一年経たぬうちに、その金をすっかり使ってしまった。株だ。ひとに儲けさせるのはうまいが、自身で儲けるぶんにはからきし駄目で、敢えて悪銭とはいわぬが、身につかなかったわけだ。
 一方お前は、おれに見はなされたのが運のつきだったか、世間もだんだんに相手にしなくなり、薬も売れなくなった。もっとも肺病薬にしろ、もっと良い新薬が出て来たし、それに世間も悧巧になるし、あれやこれやで、これまで手をひろげた無理がたたったのだ。
 派手な新聞広告が出来なくなると、お前の名も世間では殆んど忘れてしまった――というほどでなくとも、たしかに影が薄くなって来た。すると、お前はもう一度世間をあっと言わせてやろうと、見込みもない沈没船引揚事業に有金をつぎこんだり、政党へ金を寄附したり、結局だんだん落目になって来たらしいと、はた目にも明らかだった。
 それにしても、まさかおれと別れて五年目の今日、お前が二円の無心にやって来ようとは、――むろん、予想していた、見抜いていた――しかし
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