に世間にも恰好がわるい話だと、おれは随分くさってしまったが、お前ときてはおれ以上、
「――もう、こうなっては、宿の客ひきをするか、どろんをきめるか、どちらかですな」
 と、何ともいいようのない顔で苦り切っていた。
 宿の客ひきもどろんも、どちらもいずれ劣らずお前らしくて似合っていると、おれはおかしかったが、しかし、まさか婆さんの中風がなおるまで客ひきをするほど殊勝なお前でもあるまいと、ひそかに考えていたところ、案の定、ある日、
「――うさばらしに田辺で遊んで来ますよ」
 と、そわそわ出掛けて行ったきり、宿へ戻って来なかった。
 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわけにもいかず、折柄、
「――古座谷はん、済まへんけど、しし[#「しし」に傍点]さしたっとくなはれんか」
 と、情けない声をだした婆さんの方にかまけて、思い止まり、背中にまわっていつもお前がしてやっていたように、存外思い腋の下を抱え起し、尿をとってやった。ごつごつした身体だった。
 それから、四五日も看病してやったろうか、いよいよ宿や医者への支払いにさし迫られたので、たまりかねて婆さんを背負って、綱不知《つなしらず》から田辺へわたり、そこから船で大阪へ舞い戻るまで、随分おれは情けない目を見た。みなお前のせいだ。

       四

 高津の裏長屋の二階へ帰って四日目におかね婆さんは、息をひきとった。
 身寄りの者もないらしく、また、むかしの旦那だと名乗って出る物好きもなく葬儀万端、二三の三味線の弟子と長屋の人たちの手を借りて、おれがしてやった。長屋の住人の筈のお前は、その時既にどこやら姿をくらましていた。
 ひとにきけば、湯崎より逃げかえった翌日、お千鶴と一緒に、夜逃げしてしまったということだった。ここらあたりから急に悪趣味になって来た「真相をあばく」の時代がかった文章を借りていうと、

 ――さて、お千鶴を道連れに夜逃げをきめこんだ丹造は、流れ流れて故国の月をあとに見ながら、朝鮮の釜山に着いた。
 馴れぬ風土の寒風はひとしおさすらいの身に沁み渡り、うたた脾肉《ひにく》の歎《たん》に耐えないのであったが、これも身から出た錆《さび》と思えば、落魄《らくはく》の身の誰を怨まん
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