ってはじめてその上に彩色されて行くのである。しかし、この色は絵画的な定着を目的とせず、音楽的な拡大性に漂うて行くものでなければならず、不安と混乱と複雑の渦中にある人間を無理に単純化するための既成のモラルやヒューマニズムの額縁は、かえって人間|冒涜《ぼうとく》であり、この日常性の額縁をたたきこわすための虚構性や偶然性のロマネスクを、低俗なりとする一刀三拝式私小説の芸術観は、もはや文壇の片隅へ、古き偶像と共に追放さるべきものではなかろうか。そして、白紙に戻って、はじめて虚無の強さよりの「可能性の文学」の創造が可能になり、小説本来の面白さというものが近代の息吹をもって日本の文壇に生れるのではあるまいか。
[#地から1字上げ](「改造」昭和二十一年十二月号)
底本:「夫婦善哉」講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年5月10日第1刷発行
2002(平成14)年10月25日第3刷発行
底本の親本:「織田作之助全集 第八巻」講談社
1970(昭和45)年10月
初出:「改造」改造社
1946(昭和21)年12月
入力:桃沢まり
校正:門田裕志
2006年3月21
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