を読めというのか。いや、正倉院を見学しろと彼は返答するであろう。日本の芸術では結局美術だけが見るべきものであり、小説を美術品の如く観賞するという態度が生れるのも無理はない。奈良に住むと、小説が書けなくなるというのも、造型美術品から受ける何ともいいようのない単純な感動が、小説の筆を屈服させてしまうからであろう。だから、人間の可能性を描くというような努力をむなしいものと思い、小説形式の可能性を追究して、あくまで不純であることが純粋小説だという意味の純粋小説を作るのは、低級な芸術活動だと思い、作者自身の身辺や心境を即かず離れずに過不足なく描写することによって、小説を美術品の如く作ろうとし、美術品の如く観賞されることを、最高の目的とするのだ。私は彼等の素直なる、そしてただ素直でしかない、面白くないという点では殆んど殺人的な作品が、われわれに襟を正して読むことを強制しているという日本の文壇の、昨日に変らぬ今日の現状に、ただ辟易するばかりである。彼等の文学は、ただ俳句的リアリズムと短歌的なリリシズムに支えられ、文化主義の知性に彩られて、いちはやく造型美術的完成の境地に逃げ込もうとする文学である。そ
前へ
次へ
全39ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング