大学の文科の教授の言い草であるから、恐れ入らざるを得ない。何がそうでしょうなだ、何が吉屋信子だ。呆れていると、私に阿部定《あべさだ》の公判記録の写しを貸してくれというのである。「世相」という小説でその公判記録のことを書いたのを知っていたのであろう。私は「世相」という小説はありゃみな嘘の話だ、公判記録なんか読んだこともない、阿部定を妾にしていた天ぷら屋の主人も、「十銭芸者」の原稿も、復員軍人の話も、酒場のマダムも、あの中に出て来る「私」もみんな虚構だと、くどくど説明したが、その大学教授は納得しないのである。私は業を煮やして、あの小説は嘘を書いただけでなく、どこまで小説の中で嘘がつけるかという、嘘の可能性を試してみた小説だ、嘘は小説の本能なのだ、人間には性慾食慾その他の本能があるが、小説自体にももし本能があるとすれば、それは「嘘の可能性」という本能だと、ちょっとむずかしい言葉を使った。すると、はじめて彼は納得したらしかったが、公判記録には未練を残していた。
 私は目下上京中で、銀座裏の宿舎でこの原稿を書きはじめる数時間前は、銀座のルパンという酒場で太宰治、坂口安吾の二人と酒を飲んでいた――
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