えて、消えぬアバタの星空も、飛行の術で飛んでもいたが、鳥人先生のいましめ受けて、封じられたる忍術の、昔を今になすよしも、泣く泣く喞《かこ》つ繰言の、それその証拠には、この合部屋に膝をかかえているじゃないか」
と、万更法螺でもなさそうだったから、
「じゃ、この鈴鹿峠が俺たちの墓場か」
と、三好がげっそりとすれば、
「そうよ。坂はてるてるの坊主の三好、墨の衣は鈴鹿の鐘を、チンと敲いて念仏でも唱えているんだな」
などと、他愛もない洒落にますますうつつを抜かしはじめると、もういけない、まるで弁慶か索頭《たいこ》持ちみたいにここを先途と洒落あかして、刻の移るのも忘れてしまったが、そのありさまはここに写すまでもない。
その翌日、まるで申し合わせたように、鈴鹿峠の麓の茶屋に柔かな物腰をおろした若い娘があった。峠を越すのかと女中がたずねると、
「峠を越せば、遠く信州を猿飛様にやがて近江(会う)路、日の暮れぬうちに越そうと思います」
という気取った言い方は、大方佐助の感化であろう、それは楓であった。
新手村の大晦日の夜と、それから城中での歌合せの夜の二度まで、自分を振り切るように逐電してし
前へ
次へ
全67ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング