天も聴け、地も聴け! 人間は超克さるべき或る物である」
 と、老人はにわかに教師口調になって、天を指したが、天井からは塵一本落ちて来なかったので、更に言葉をはげまして、然しこそこそと落着かぬ眼尻から垂れる眼やにを拭きながら、
「――余は憐れにも醜き人間共の、げす俗顔に余の凉しき瞳を汚されるのを好まず、また喧しい人間共の悪声に、余の汚れなき耳を汚されるのをおそれて、高き山の嶺より嶺へ飛行する戸沢円書虎《ツアラツストラ》、またの名を白雲斎といえる超(鳥)人であるぞ。さるに些か思う所存あって、今宵|新手《にいて》村の上空を飛行せしに、たまたまこの山中に汝の姿を見受けし故、忍術の極意を以って木遁を行いしが、最前よりの汝の働き近頃屈強なり。したが、鹿も通わぬこの山奥に若い身空の隠居いぶかし。先ず問う。何を食うて生きているのじゃ」と、問うたので、度肝を抜いてくれようと、蝮蛇《まむし》を食うている旨答えると、
「日の下にあって、最も聰明にして怖しき毒蛇をくらうとは、近頃珍妙じゃ。殊に蝮蛇の頭肉は猛毒を含みて、熊掌駝蹄《ゆうしょうだてい》[#底本では「いうしょうだてい」とルビ]にも優る天下の珍味」
 と、はやだらしなく涎を垂れたのを見て、佐助は、この醜怪なる老人が蛇の頭を噛る光景は、冬の宿の轆轤《ろくろ》首が油づけの百足《むかで》をくらうくらいの趣きがあろうと、
「いざまずこれへ」
 と、早速老人を洞窟へ案内して、食べ残しの蝮蛇の頭五つに、毒除けの大蛇《おろち》の血を塗って与えると、
「おお、これは珍味」
 老人はペロペロとくいながら、放屁し、あまっさえ坐尿し、何とも行儀のわるい喜び方であった。
 そして老人は、佐助の姓が鷲塚だと聴くと、
「日の下にあって、最も気を負える鷲を姓にいただくとは、近頃たのもし」
 と、見え透いた世辞を使ったあと、佐助との間に、次のような問答を行った。
「汝、朝ニ猿ト遊ブト言フ。ソノ所以ハ」
「サレバ、友ヲ選ベバ悪人、交レバ阿諛追従ノ徒ニ若クハナシトハ、下界人間共ノ以テ金言ト成ス所ナリ。サルヲ、最悪ノ猿ト雖モ、最善ノ人間ヨリ悪ヲ行フ所|尠《スクナ》ク、マタ猿ハ阿諛ヲ知ラヌナリ。猿ニ似テ非ナル猿面冠者ハオノガ立身出世ノタメニハ、主人ヨリ猿々ト呼ビ捨テラレルモ、ヘイヘイト追従笑ヒナド泛《ウカ》ベタルハ、即チ羞恥ヲ知ラザル者ト言フガ如シ。サルヲ、猿ノ赤キ雙頬ハ
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