は、それがしが顔。人に見せてもそなたにだけは、夢うつつにも見せられようか。アバタめが、猿の衣裳の裃つけて、歌を読むとて短冊片手に首を振り、万葉もどきの調子をつけて、『アバタめが首を振る振る振るもよし振らざるもよし』などとは、口くさっても言えようか。気が狂うても見せられようか。アバタの穴が消せないままに、極意の秘伝でこの身を消して、雲の上より未練の一声、立つな、叫ぶな、探すな、坐れ。坐って聴けや、この胸の嘆き。猿飛佐助は、そなたの前から、今宵限りに姿を消して、あとは気任せ、足任せ、時には飛行の一足飛びに、日本全土飛び歩く、忍術道中の草鞋をはいて、はいて捨てるは毒舌三昧、ああこれからが面白いが、そなたに別れるこの苦しさは、少し旅寝の枕を濡らそう。楓どの、さらばじゃ」
例によって、妙な調子のあらぬ言葉を残して、上田の城から姿を消した佐助は、歌の会の結果がどうなったか知る由もなく、また知ろうともせず、その夜の内に飛行の術で、飛ぶわ、飛ぶわ、物の怪につかれたように飛んで、丑満の頃には、京の都の東山の上空まで来たが、折柄南禪寺の山門に立ちのぼる陰々たる妖気を見ると、何思ったか、えいと飛び降りた。
そして、耳をすますと、果して山門の楼上より、ひそびそと話し声が聴えて来た。
「はて、面妖な。この丑満刻に時ならぬ人の声。何? 伏見桃山、千鳥の香炉?……ふーむ、奇怪な言葉が聴えるぞ」
三町四方に蚤の飛んだ音も聴きわけるという佐助が、怪しい楼上の声を聴きつけて、そう呟いた途端、一本の手裏剣が佐助の眉間めがけて、飛んで来た。
水遁巻
南禪寺山門に立ちのぼる陰々たる妖気を見て、いきなり飛び降りた佐助が、折柄楼上より聴える、
「伏見桃山、千鳥の香炉……」
という怪しの人声を耳にした途端、一本の手裏剣が、佐助の眉間めがけて飛んで来たので、心得たりと、宙に受けとめて、うかがうと、百日かずらの怪しげな男が、いくらか洒落気のある男らしく、上方訛りの七五調をつらねながら、こう呶鳴るのが聴えた。
「時も時、草木も眠る丑満の、所もあろうにわが山門に、紛れ[#底本では「粉れ」と誤植]込んだる慮外者、熱に浮かされ夜な夜な歩く、夢遊病者か風来坊か。風の通しのちと変挺な、その脳味噌に風穴一つ、明けて口惜しい手裏剣を、眉間めがけて投げてはみたが、宙にとめられ残念至極、うぬは一体どこの何奴だ?」
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