手を振って、
「いや、そう茶化しては困る。えーと、例えばだ、歌を読むとか、作るとか、そういうことは出来るのか」
すると、佐助は急に床の上に坐り込んで、
「何? もう一ぺん言ってみろ。出来ぬのかとは、何事だ。人生百般――と、敢えて大きく出ぬまでも、凡そ人間の成すべきことにして、不正、不義、傲慢のこの三つを除いたありとあらゆる中で、この佐助に能わぬことが、耳かきですくう程もあれば言ってみろ!」
「まア、そう怒るな。じゃ、出来るのか」
「憚りながら、猿飛佐助、十八歳の大晦日より二十四歳の秋まで、鳥居峠に籠っていた凡そ六年の間、万葉はもとより、古今、後撰、拾遺《しゅうい》の三代集に、後拾遺、金葉、詞花、千載、新古今の五つを加えて、世にいう八代集をはじめ、源実朝卿の金|槐《かい》集、西行坊主の山家集、まった吉野朝三代の新葉集にいたるまで、凡そ歌の書《ふみ》にして、ひもどかざるは一つも無かったのみか、徒然なるままに、かつは読み、かつは作ってみた歌の数は、ざっと数えてこのアバタの数ほどあるわい」
「判った、判った。道理で日頃の貴公の言葉づかいが、些か常人とは異っていると思っていたよ。ところで、そうときまれば、好都合だ。というのは、外でもない、実は今夜城中に奥方の歌の会があるんだが、今夜の会には、ちと俺の気にくわぬ趣向がたくらまれているんだ」
「ほう? 下手糞な歌を作った罰に、三好清海入道に、裸おどりでもさせようという、趣向か。こりゃ面白い」
「莫迦をいえ。実は、一番いい歌を作った女を、一番いい歌を作った男にくれてやろうという、趣向なんだ。ところが、女の中で一番歌の巧いのは、奥方附きの侍女で、楓という女なんだ」
「楓……? きいたような名だな」
ふと甘い想いが佐助の心をゆすぶった。が、入道はそんなことには気づかず、
「ところで、男の方の歌の巧い奴は、家老の伜の伊勢崎五六三郎だ」
「すると、何だな。その五六三郎が、楓とやらを、貰いそうなんだな。それがどうして、気に染まぬのだ。貴公、その楓とやらに、思いを寄せておるのか」
「あらぬことを口走るな。俺ア毛虫の次に嫌いなのは、女という動物だ。つまり、今夜の歌の会で俺の気にくわぬ理由が、ざっと数えて三つある。一つは、五六三郎という奴が虫が好かんのだ」
「向うでも、貴公を好きとは言っておらんだろう」
「そうだ、そうだ」
と、三好はからかわ
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