ちた。
 父親はいつのときも、賛成も反対もせず、つまりは煮え切らず、ぼそぼそ口の中で呟いているだけだったが、おたかはまるで差し出でて、仲人に向い、
「格式の違うことあれしまへんか」
 と、いつもこの調子で、仲人を怒らしてしまい、その都度簡単に話は立ち消えたのだ。
 当座の小気味良さも、しかし、あとでむなしい淋しさと変った。だから、義枝には、
「あんな仕様むない男に貰われたら、お前の一生の損やさかいに……」
 と言い聴かせ、それをまた自分へのいいわけにもした。
 よその娘なら知らず、義枝の父親は理髪業者の寄合へ洋服で出席した最初の人で、なお町会の幹事もしているのだ……。
 ところが、そんなことがあって、こんどの相手は畳屋の年期奉公上りの職人で、と聴いてみると、やはりおたかはあらかじめ断る肚をきめて置いてよかったと思った。
 散髪屋も畳屋も同じ手職稼業でたいした違いはないようなものの、おたかにしてみれば、口惜しいほど格式が落ちたと思われ、だから断るにもサバサバした気持だった。
 仲人はあきれて帰って行った。
 おたかは暫時ぺたりと坐りこんだまま、肩で息をし、息をし、畳の一つところを凝視していた。腹立たしいというより、むしろさすがに取り逃した気持でわれにあらず心に穴があいた。
「なんぜ断る気になったんやろか」
 と、考えてみても判らず、所詮いまさらの後悔だったが、いってみれば父親は下手に町会の幹事などしたわけだ。
 ひとつには、義枝の年が若ければ、かえって畳屋の職人でもあっさりと応じられたのかもしれず、つまりはひがみだったろうか。
 やがてそわそわと立ち上り、勝手元へ出てみると、義枝はしきりに竈の下を覗いていた。新聞紙を突っ込み、薪をくべ、音高く燃えて、色黒い義枝の横顔に明るく映えていた。ふと振り向いたその眼が赤く、しばたたき、煙のせいばかりでないとおたかは胸痛く見たが、どういうわけかおたかの声は、
「えらい煙たいやないか」
 と、叱りつけるようだった。
 大分経って、義枝の下の定枝を貰いに来た。
 先方は小学校の教員で、二十九歳だというから、定枝と四つちがいだった。二十五の娘《いと》はんやったらしっかりしたはって、願ったりかなったりだと、わざわざ定枝の歳をありがたいものにするいい方を、仲人はして、つまりはおたかの気性をのみこんでいた。
 そうされてみれば、おたかもさすがに固い表情が崩れ、小学校の教員といえば、よしんば薄給にしろまずまず世間態は良いと、素直に考えることが出来た。贔屓目にも定枝の器量は姉の義枝とそんなにちがいはしなかったが、ずんぐりとして浅黒い義枝とくらべて、定枝はややましにすんなりと蒼白く、そういう談があってみれば、いまそれは透き通るように白いと、改めて見直されるぐらいだった。なお、先方は尺八の趣味があるといい、それも何となく奥床しいではないかと、これで纒らねば嘘だった。
 仲人は無料の散髪をして帰った。
 ところが、纒まると見えて、いざ見合いという段になると、いきなりおたかは断ってしまった。
 仲人は驚いたが、怒った顔も見せず、なるほど、姉さんをさし置いて妹御をかたづける法もなかったと筋を通して、御縁は切れたわけでもないと、苦労人だった。
 けれども、その言葉は思いがけずおたかには痛く、妙なところで効果があった。
 実はもって、おたかには断るほどの理由もはっきりとはなく、強いて娘の見合いの晴れがましさに馴れず臆したのだと言ってみたところで、それでは余りに阿呆らしく小娘めく。仲人ももう一押し押せば、十に一つは動く振り[#「動く振り」は底本では「く動振り」と誤植]もおたかには充分あったところだが、もはやそんな痛いところを突かれては、おたかの気持はいつものところへ落ち着いて、
「格式が違うことあれしめへんか」
 意固地な声であった。さすがの仲人もむっとした。
 怒った顔二つ暫時にらみ合って、やがて仲人の帰ったあと、勝手元で騒々しい物音や叫声がして、おどろいておたかが出て見ると、義枝と定枝が掴み合い掴み合っているのだ。
 おたかは何か思い当って、はっと胸をつかれ、蒼ざめた途端に、いきなり逆上して、二人を突き離すと、漆喰の上へ転がり落ちたのは、義枝の方だった。そのつもりではなかったが、倒れて見れば、やはり義枝らしかった。
 物音で近所のひとびとがわざとのように駈けつけて来ると、ぴたりと三人は静まりかえった。
 定枝はぷいと出て行った。義枝はおろおろと身体を縮めて忍び泣いていたがやがて座敷へはいると、琵琶をかきならした。それが店の間にもきこえ、客は頭を刈られながら、ふんふんときいた。
 翌日、おたかは近所へ海老のはいったおからを配った。
 半年経って、十九の久枝に縁談があったとき、矢張り義枝をさし置いてということが邪魔した。
 久枝は北浜の銀行へ勤めに出て、太鼓の帯に帯〆めをきりりとしめ、赤い着物に赤い鼻緒の下駄で、姉たちとはかけはなれて派手な娘であった。なお、眼鏡を掛けていた。
 相手は同じ銀行に働く男で、銀行員といえば、もう飛びつきたい話にはちがいなかった。しかし、同じところで働いていたとすれば、浮いた話ではなかったかと近所の評判も気にされた。
 もともと久枝を勤めに出すことは、何かと気がひけていたのである。娘を働かさねばやって行けぬ世帯かと見られることが、随分辛いのだ。だから、同じ銀行で働く男と結婚したとすれば、一層とやかくの噂は避けがたい。
 それがおたかにはいやだった。といって、断るには惜しい談だと、いろいろ迷ったあげく、結局義枝の縁組みもせぬうちに久枝をかたづけるわけには行かぬと、これがおたかの肚をきめたのである。
 次の縁談があるまで半年待った。
 こんどの談は敬吉に来て、先方は表具屋の娘だったから、これも敬吉の意見をきかぬうちに有耶無耶になった。仲人はしかし根気よく三度足を運んだのだった。
 が、三度目にはもう、
「こんな年増の小姑のいる家に、誰が嫁に来まっかいな」
 と、捨科白して、ばたばたと帰ってしまった。
 いわれてみると、おたかはちくちく胸が痛み、改めて敬吉の歳を数えてみると、三十だった。
 三十の声をきいてから、敬吉の頬にはめきめき肉がついて、ふっくらとし、おまけに商売柄いつも剃り立ての髭あとがなまなまと青かった。
 そんな顔を敬吉は店の間からはいって来てぬっと見せると、
「いまのお客さん何しイに来はったんやねん?」
 わりに若い声で訊いた。
「何もしイに来やはれへんぜ」
 おたかはとぼけて見せ、
「――店放っといてええのんか」
 叱りつけるように言うと、敬吉はこそこそ店へ引きかえした。
 そして、見習小僧に代って、客の顔を剃りながら、かねがね理由《わけ》もなしに母親に頭の上らぬ自分の顔を、しょんぼり鏡に覗いていると、何となく気が滅入ったが、ふと、
「良え薬でもくれるのんか。なんし、わての痔イは物言うても痛む奴ちゃさかい」
 という羅宇しかえ屋のお内儀の声がきこえ、
「あれくらい大けな声出したら、なるほど痛みもするわいな」
と、客が笑ったのにつられて、敬吉も黒いセルロイドのマスクのかげで笑い、
「ほんまにイな」
 剃刀をとめて、客の笑いのとまるのを待っているところへ、他吉がひょっくりはいって来た。
「敬さん。また無心や」
「なに貸してほしいねん?」
「さいな。今日は剃刀とちがう。あんたの学を貸してほしいねん」
「安い御用やが……」
 敬吉は講義録など読み、枢密院の話などを客にして、かねがね学があると煙たがられていた。
「これをひとつ読んでほしいねん」
 マニラからの手紙を渡すと、敬吉は剃刀を片手に眼を通した。
「どうせ婿の新太郎から来た手紙や思いまっけど、なんぞ言うとりまっか。マニラは暑うてどんならん言うとりまっか」
 敬吉はしかしそれに答えず、
「他あやん、えらい鈍《どん》なこっちゃけど、こらわいには読めんわ」
 と、びっくりした顔だった。
「えらいまた敬さんに似合わんこっちゃな、どれ、どれ、わいにかして見イ、わいが読んだる」
 客は散髪台の上に仰向けになったまま、他吉の手からその手紙を受けとったが、すぐ、あっと声をのんで、
「わいにも読めんわ。えらい鈍なことで……」
 と言いながら、滅法高い高下駄をはいた見習小僧にそれを渡した。
「――お前読んでみたりイ」
「へえ」
 そして、読みだした小僧の声は、筑前琵琶の音にところどころ消されたが、他吉の胸に熱く落ちて来た。
 マニラへ行っていた婿の新太郎が、風土病の赤痢に罹って死んだ旨、新太郎に部屋を貸している人からの報らせの手紙だった。
「なんやて? さっきのとこもういっぺん読んで見てんか。一昨日の……?」
「一昨日の午前二時、到頭看護及ばず逝去されました」
「セイキョてなんやねん」
「死ぬこっちゃ」
 小僧は十六歳だった。
 瓦斯燈がはいって、あたりはにわかに青い光に沈んだ。
 理髪店の大鏡に情けない顔をちらと蒼弱くうつして、しょんぼり表へ出ると、夜がするする落ちて来た。
 他吉は腑抜けて、ひょこひょこ歩いた。

     3

 それから半時間も経ったろうか、他吉はどこで拾ったのか、もう客を乗せて夜の町を走っていた。
 通天閣のライオンハミガキの広告燈が青く、青く、黄色く点滅するのが、ぼうっとかすんで見えた。
 客は他吉の異様な気配をあやしんで、
「おやっさん、どないしてん? 泣いてるのんと違うか」
「泣いてまんねん」
「えっ?」
 客はその返辞の仕方のほうに驚いてしまった。
「――こらまたえらい罪な俥に乗ってしもたもんや。これから落語ききに行こちゅうのに、無茶苦茶やがな。一体どないした言うねん?」
「へえ。娘の婿めが、あんた、マニラでころっと逝きよりましてな」
「マニラ……? マニラてねっから聴いたことのない土地やが、何県やねん」
「阿呆なこと言いなはんな」
 ポロポロ涙を落しながら、マニラは比律賓の首府だと説明すると、
「さよか、しかし、なんとまた遠いとこイ行ったもんやなあ」
「マラソンの選手でしたが……」
「ほんまかいな、しかし、可哀相に……。そいで、なにかいな。その娘はんちゅうのは子たちが……?」
 あるのかと訊かれて、またぽろりと出た。
「まあ、おまっしゃろ」
「まあ、おまっしゃろや、あれへんぜ。男の子オか」
「それがあんた、未だ生れてみんことにゃ……」
 新世界の寄席の前で客を降ろすと、他吉はそのまま引きかえさず、隣の寄席で働いている娘の初枝を呼びだした。
「お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]なんぞ用か」
 出て来た初枝は姙娠していると、一眼で判るからだつきだった。
 他吉はあわてて眼をそらし、
「うん。ちょっと……」
 と、言いかけたが、あと口ごもって、
「――ちょっと〆さんの落語でもきかせてもらおか思てな……」
 寄ったんだと、咄嗟に心にもないことを言うと、
「めずらしいこっちゃな。あんな下手糞な落語ようきく気になったな。そんなら、俥誰ぞに見てもろてるさかい、はよ、聴いてきなはれ」
「いや、もう、やめとくわ。それより、ちょっとお前に話があるねん」
 そして、寄席を出て、空の俥をひきながら歩きだすと、初枝は、
「話やったら、ここで言うたら、ええやないか。けったいやなあ」
 と言いながら、前掛けをくるりと腹の上へ捲きつけて、随いて来た。
 活動小屋の絵看板がごちゃごちゃと並んだ明るい新世界の通りを抜けると、道は急にずり落ちたような暗さで、天王寺公園だった。
 樹の香が暗がりに光って、瓦斯燈の蒼白いあかりが芝生を濡らしていた。
 美術館の建物が小高くくろぐろと聳え、それが異国の風景めいて、他吉は婿の新太郎を想った。
 白いランニングシャツを着た男が、グラウンドのほの暗い電燈の光を浴びて、自転車の稽古をしている。それが木の葉の隙間から影絵のように蠢いて見えた。
 動物園から猛獣の吼声がきこえて来た。ラジュウム温泉の二階で素人浄瑠璃大会でも催されているらしく、太の三味線の音がかすかにきこえた。
 丁稚らしい男がハ
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