たと帰ってしまった。
いわれてみると、おたかはちくちく胸が痛み、改めて敬吉の歳を数えてみると、三十だった。
三十の声をきいてから、敬吉の頬にはめきめき肉がついて、ふっくらとし、おまけに商売柄いつも剃り立ての髭あとがなまなまと青かった。
そんな顔を敬吉は店の間からはいって来てぬっと見せると、
「いまのお客さん何しイに来はったんやねん?」
わりに若い声で訊いた。
「何もしイに来やはれへんぜ」
おたかはとぼけて見せ、
「――店放っといてええのんか」
叱りつけるように言うと、敬吉はこそこそ店へ引きかえした。
そして、見習小僧に代って、客の顔を剃りながら、かねがね理由《わけ》もなしに母親に頭の上らぬ自分の顔を、しょんぼり鏡に覗いていると、何となく気が滅入ったが、ふと、
「良え薬でもくれるのんか。なんし、わての痔イは物言うても痛む奴ちゃさかい」
という羅宇しかえ屋のお内儀の声がきこえ、
「あれくらい大けな声出したら、なるほど痛みもするわいな」
と、客が笑ったのにつられて、敬吉も黒いセルロイドのマスクのかげで笑い、
「ほんまにイな」
剃刀をとめて、客の笑いのとまるのを待っているとこ
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