るかいな。わいが頼むさかい、堪忍したりイ」
「〆さん、言うとくけどな、わいはこの子が憎うて、下足番させるのんと違うぜ。この子が可愛いさかい、させるねんぜ。君枝、お前もようきいときや。人間はお前、らく[#「らく」に傍点]しよ思たらあかんねんぜ。子供の時からせえだい働いてこそ、大きなったら、それが皆自分のためになるねや。孔子さんかテそない言うたはる」
「ほんまかいな、他あやん、孔子さんがそんなこと言うたはるて、こら初耳や。おまはんえらい学者やねんな」
「言うたはれいでか。楽は苦の種、苦は楽の種いうて、言うたはる」
「阿呆かいな」
と、〆団治はあきれたが、〆団治も〆団治で、
「――そら、お前、大石内蔵之助[#「蔵之助」は底本では「藏之助」となっている]の言葉や」
「まあどっちでもええ、とにかく、人間はらくしたらあかん。らくさせる気イやったら、わいはとっくにこの子を笹原へ遣ったアる。しかし、〆さん、笹原の小倅みてみイ、やっぱり金持の家でえいよう[#「えいよう」に傍点]に育った子オはあかんな。十やそこらで、お前、日に二十銭も小遣い使いよる言うやないか、こないだ千日前へひとりで活動見に行って、冷やし飴五銭のみよって、種さんとこの天婦羅十三も食べよって、到頭|下痢《はらく》になって、注射うつやら、竹の皮の黒焼きのますやら、えらい大騒動やったが、あんな子になってみイ、どないもこないも仕様ない。親も親や、ようそんだけ金持たしよるな」
それに比べると、うちの子はちがう、学校がひけてから三助が湯殿を洗う時分まで、下足をとって晩飯つきの月に八十銭だと、他吉の肚はもう動かず、翌日から君枝は日の丸湯へ通いで雇われた。
学校をひけて帰ると、ひとけのない家のなかでしょんぼり宿題をすませる。それから日の丸湯へ行き、腹の突きでた三助の女房に代って、下足の出し入れをするのだ。
履物を受け取って下足札を渡し、下足札を受け取って履物を渡す――これだけの芸は間誤つきもせずてきぱきとやれ、小柄ゆえ動作も敏捷に見えたが、しかし、できるだけ大きな声でといいつけられた――。
「おいでやす」
「毎度おおけに」
この二つはさすがにはじめのうちは、主人から苦情が出た。
夜、立て込む時間はまるで客の顔が見えず、血走った眼玉で、下足札の番号をにらみつけ、しきりに泡食っていた。
ことに雨降りの晩は傘の出し入れもしなければならず、濡れた傘のじっとりした手ざわりがたまらなかった。
冬がいちばん辛かった。手足の先がチリチリ痛むのだった。客がはいって来るたびに、さっと吹きこんで来る冷たい風だ。客は戸をしめるのを忘れた。いちいちそれを閉めに立った。その都度、鼻の先がチカチカ痛みをもった。
矢張り悲しかった。
けれど、他吉は夜おそく身をこごめて日の丸湯の暖簾をくぐる時、自身で草履をしまい、ろくろく君枝の顔をよう見なんだ。
君枝が渡す下足札を押しいただいて受けとり、その手は血の色もなく静脈が盛り上って、かさかさと土のようで、子供心に君枝は胸が痛み、ひとびとが言うほど自分が祖父から辛く扱われているとは、思えなんだ。
むしろ、このように働くのを自分の運命だと、君枝はなにか諦めていたようだったが、けれどただひとつ、昼間客のすくない時の退屈さは、なんとも覚えのない悲しさで、ガラス戸越しに表通りを見るともなく見て、無気力な欠伸をはきだしていると、泣きたくなった。
そうして、いつかしくしく泣きながら居眠ってしまうのだが、そんな時いつも起してくれるのは、ガラス戸の隙間にシュッと投げ込まれる夕刊の音だった。
「あ、次郎ぼん!」
外は寒かったが、表へ出て見ると、風が走り、次郎の姿はもう町角から消えていて、犬の鳴声が夕闇のなかにきこえた。
しかし、次郎はもう犬をこわがる歳でもなく、間もなく夕刊配達をよして、東京へ奉公に行った。
9
十姉妹が流行して、猫も杓子も十姉妹を飼うた。榎路地の歯ブラシの軸の職人は、逃げた十姉妹を追うて、けつまずいて、足を折り、一生跛になった。〆団治は二羽飼うて、すぐ死なし、二円五十銭の損であった。が、儲けた人も随分多く、谷町九丁目のメタル細工屋の丁稚は、純白の十姉妹を捕えて、一財産つくり、大島の対を着て、丹波へ帰って行ったと、大変な評判であった。
ある日、他吉が口繩坂の上を空の俥をひいて、通りかかると、坂の下から、
「十姉妹や」
「十姉妹や」
声をかさねて、ひとびとがまるでかさなりあいながら、駈けのぼって来た。
「――阿呆な奴らや。なにを大騒ぎさらしてけつかる」
他吉は綿を千切って捨てるように、呟いたが、途端に、他吉のふところへ、追われた十姉妹が飛び込んで来た。
真っ白だ。
咄嗟に手を伸ばしたが、十姉妹はすっと飛び去った。
「しもた!」
他吉
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