醤油代がはいっていなかったのだ。
自然、天婦羅だけでは立ち行かず、近所に葬式があるたび、駕籠かき人足に雇われた。氏神の生国魂《いくだま》神社の夏祭には、水干を着てお宮の大提燈を担いで練ると、日当九十銭になった、鎧を着ると、三十銭あがりだった。種吉の留守には、お辰が天婦羅を揚げたが、お辰は存分に材料を節約《しまつ》したから、祭の日通り掛りに見て、種吉は肩身の狭い想いをし、鎧の下を汗が走った。
そんな気性ゆえ、種吉は年中貧乏し、毎日高利貸が出はいりした。百円借りて、三十日借りの利息天引きで、六十円しかはいらず、日が暮れると、自転車で来て、その日の売り上げをさらって行った。俗にいう鴉金だ。
種吉は高利貸の姿を見ると、下を向いてにわかに饂飩粉をこねる真似したが近所の子供たちも、
「おっさん、はよ牛蒡《ごんぼ》揚げてんか」
と、待て暫しがなく、
「よっしゃ、今揚げたるぜ」
と言うものの、摺鉢の底をごしごしやるだけで、水洟の落ちたのも気附かなかった。
種吉では話にならぬから、路地の奥へ行きお辰に掛け合うと、彼女は種吉とは大分ちがって、高利貸の動作に注意の眼をくばった。催促の身振りがあまって、板の間をすこしでも敲いたりすると、お辰はすかさず、
「人の家の板の間たたいて、あんたそれで宜しおまんのんか」
血相かえるのだった。
「――そこは家の神様が宿ったはるとこだっせ」
芝居のつもりだが、矢張り昂奮して、声に泪がまじるくらい故、相手は些かおどろいて、
「無茶言いなはんな。なにもわては敲かしまへんぜ」
むしろ開き直り、二三度押問答の挙句、お辰は言い負けて、素手では帰せぬ羽目になり、五十銭か一円だけ身を切られる想いで渡さねばならなかった。
それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されるとなんとも、申し訳けのない困り方でいきなり平身低頭して詫びを入れ、ほうほうの態で逃げ帰った借金取りがあった――と、きまってあとでお辰の愚痴の相手は娘の蝶子であった。
蝶子はそんな母親をみっともないとも哀れとも思った。それで、尋常科を卒《で》て、すぐ日本橋筋の古着屋へ女中奉公させられた時は、すこしの不平も言わなかった。どころか、半年余り、よく辛抱が続いたと思うくらい、自分から進んでせっせと働いた。お辰は時々来て、十銭、二十銭の小銭を無心した。
ところが、冬の朝、黒門市場への買い出しの帰り廻り道して古着屋の前を通り掛った種吉は、店先を掃除している蝶子の手が赤ぎれて血がにじんでいるのを痛々しく見て、そのままはいって掛け合い、連れ戻した。
「よう辛抱したな。もうあんな辛い奉公はさせへんぜ」
種吉は蝶子に言い言いしたが、間もなく所望されるままに女中奉公させた先は、ところもあろうに北新地のお茶屋で、蝶子は長屋の子に似ず、顔立ちがこじんまり整い、色も白く、口入屋はさすがに烱眼だった。何年かおちょぼ[#「おちょぼ」に傍点]をして、お披露目した。三年前のことである。
が、種吉ははじめから蝶子をそうさせる積りはさらになく、じつは蝶子が自分から進んで成りたいといった時、おどろいて反対したくらい故、他吉がオトラに言った言葉は、一そう種吉の耳に痛かったのだ。
種吉は他吉の家の戸をあけるなり、もう大声で、
「他あやん、さっきから黙ってきいてたら、お前えらい良え気なことを言うてたな」
「藪から棒に何言うてんねん? 羅宇しかえ屋のおばはんみたいな声だして……」
「お前うちのことあてこすってたやろが……」
「どない言うねん? いったい……訳わかれへんがな。――まあ、あがりイな」
「ここで良え!」
突っ立ったまま、
「――胸に手エあてて、とっくり考えてみイ」
精一杯の見幕をだしたつもりだったが、もともと種吉は気の弱い男で、おろおろと声がふるえて、半泣きの顔をしていた。
「さあ、なんぞ言うたかな」
「芸者がどないか、こないか言うたやろ。他あやん、お前わいになんぞ恨みあんのんか。えッ? お前に腐った天婦羅売ったか」
「ああ、そのことかいな。そう言うた」
他吉は思い当って、
「――それがどないしてん?」
「芸者がなにが悪いねん?――そら、他あやんとわいとは派アがちがう。しかし、なにもわいが娘を芸者にしたからというて、あない当てこすらいでもええやないか。だいいち、お前あの時どない言うた……?」
……蝶子がお披露目する時、他吉はすこしでも費用が安くつくようにと、自身買って出て無料の俥をひいてやったが、その時他吉は……、
「……わいも今まで沢山《ぎょうさん》の芸子衆を乗せたが、あんな綺麗な子を乗せたことがない、種はん、ほんまに綺麗やったぜエ――と、言うたやないか」
「そやったな」
三年前のことを想いだして微笑していると、
「それを今更あんなきついこと言うテ、どだい殺
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