、けれども実科女学校を出ているということであった。
花嫁の自動車が来る時分になると、義枝は定枝や久枝と一しょにぞろぞろと見に行った。自動車が薬局の前に停ると、義枝の眼は駭いたように見ひらいて、一そう澄んだ青さをたたえた。浅黒いわりに肌面の細かい皮膚は、昂奮のあまりぽうっと紅潮して、清潔な感じがした。
帰って来ると、おたかは、
「しようむないもん見に行かんでもええ。阿呆やなあ」
と、にわかに熱が高まったようで、蒲団の中へもぐり込んだ。
ところが、ものの一時間も経たぬうちに、おたかは立ち上って、薬局へ祝いの酒肴など持って行き、夜おそくまで薬局の台所でこまごまと婚礼の手伝いをした。
そして、翌日から頭痛がすると言って、三日寝こんだのである。心配した義枝が買って来た薬の袋にミヤケ薬局とあるのを見て、おたかは理由もなく、泣いて義枝を叱ったということであった……。
玉堂はそのことを言ったのだが、しかし彼が赧くなったのは、ちかごろ彼は用事もないのに朝日軒の奥座敷へちょくちょく出かけているからであった。
玉堂が行くと、義枝はおどおどして、お茶をもって来た。玉堂はまだ三十二歳、朝日軒の末娘は二十歳で、玉堂の顔を見ると、ぷいと顎をあげて、出て行き、彼はちょっと寂しかった……。
それを想い玉堂は赧くなったが、すぐもとのにやにやした顔になると、
「いったい乗せたのか、乗せなかったのか、どっちなんだね?」
と、言った。
「それ訊いて、どないするちゅうネや」
さからっていると、もう炬燵のなかに、はいっていた君枝が、むっくり起き上って、
「三味線もったはるおばちゃんやったら、乗らはった、乗らはった」
と、言った。
「そやったかな。よう覚えてるなあ」
他吉が言うと、君枝は、
「そら覚えてる。うしろから随いて走ってるわてが可哀想や言うて、どんぐり(飴)くれはったさかい」
いつにないはきはきした声だった。
「それじゃ、やっぱり、そうだったのか」
玉堂は大袈裟にうなずいて、
「――実は他あやん、その婆さんというのが、僕のいる館《こや》の伴奏三味線を弾いている女でね」
「それがどないしてん? なんぞ、俥のなかに忘れもんでもしたんか? そんなもん見つかれへんかったぜ」
「まあ、聴きイな」
彼女は御蔵跡の下駄の鼻緒屋の二階に亭主も子供も身寄りもなく、ひとりひっそり住んでいる女だが……
「めったに俥なんか乗ったことのないくせに、この間、偶然あんたの俥に乗ったというのが、なにかの縁だろうな……」
他吉の俥のあとからよちよち随いて来る君枝の姿を見て、彼女はむかし松島の大火事で死なしたひとり娘の歳もやはりこれくらいであったと、新派劇めいた感涙を催し、盗んで逃げたい想いにかられるくらい、君枝がいとおしかった。夜どおし想いつづけ、翌日小屋に来て誰彼を掴えて、その奇妙な俥ひきの祖父と孫娘のことを語っているのを、玉堂がきいて、あ、それなら知っている僕の路地にいる男だと言うと、彼女は根掘り他吉のことをきき、祖父ひとり孫ひとりのさびしい暮しだとわかると、ぽうっと、赧くなって、わてもひとり身や。そして言うのには、あの人に後添いを貰う気持があるか訊いてくれ、わてにはすこしだが、貯えもある、もと通り小屋に出てもよし、近所の娘に三味線を教えてもよし、けっしてあの人の世帯を食い込むようなことはしない、玉堂はん頼みます云々……
「……年甲斐もなく、仲人を頼まれたわけだが、他あやんどないやね。君ちゃんの境遇を憐れんで、あんたと苦労してみたいと言うところが良いじゃないか。もっとも、あんたはどっか苦味走ったところがあるからね、奴さん相当眼が高いよ」
玉堂が言うと、他吉はぷっとふくれた。
「年甲斐もないちゅうのは、こっちのことや。阿呆なことを言いだして、年寄りを嬲りなはんな。わいはお前、もう五十四やぜ」
「ところが、先方だって五十一、そう恥かしがることはないと思うがな」
玉堂はそう言って、明日また来るから、それまで考えて置いてくれと、帰って行った。婆さんの名はオトラと言った。
他吉はぽかんとしてしまった。腹が立つというより、照れくさかった。からかわれた想いもあり、どんな顔の婆さんかと、想いだしてみる気もしなかった。
「此間《こないだ》のおばちゃん、うちへ来やはるのん?」
炬燵の火を見てやるために、蒲団のうしろから顔を突っこんでいると、君枝がぼそんと言った。
「早熟《ませ》たこと言わんと、はよ寝エ」
君枝のちいさな足を、炬燵の上へのせてやっていると、他吉はふと、ほんとうにあの婆さんが君枝いとしさに来てくれるのであれば、なんぼうこの子が倖せか、と思った。
すると、妙にそわついて来た。
他吉はその婆さんが来た時の状態を想像してみた。
朝、婆さんは暗い内に起きて、炊事を
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