それは……。そいで、お父さんは……?」
 何をしていたのかと、御寮人は執拗かった。
「玉造で桶屋してましたけど、失敗してマニラへ行って、死にました」
 君枝はしみじみした口調だったが、顔はそんなに執拗い御寮人へ怒っていた。
「――御認印を」
 そこを出しなに、若い男の真赤な眼が、上眼を使ってこちらをみつめたように、君枝は思った。
 あちこち消毒や勧誘にまわって、寺田町に帰って来ると、
「御苦労やった。どやった、質屋のぐあいは……?」
 主任が言った。主任の顔は口髭を落して以来いつみても卵子のようにのっぺりしていた。
「……?……」
 何故そんなことを言いだすのか、訳がわからなかった。
「息子が居たやろ?」
「……さあ?」
「さあとはえらいまた頼りない返辞やな」
 笑って、ぽんと君枝の肩を敲き、
「――いまに君に運が向いて来るかも判れへんぜ。けっ、けっ、けっ……」
 主任は抜けた歯の間から、けったいな笑いをこぼした。
 君枝はますます訳がわからなかったが、帰り途、朋輩の春井元子の口からきいて、はじめて、主任が自分に大西質店へ行けと言った意味などが腑に落ちた。
「昨日あんたの留守中に、あそこの御寮人が事務所へ来やはったんよ。うち運よく帰ってたさかい傍できいてたらね……」
「……御寮人の言うのには、――藪から棒にこんな話をするのは何だけれど、実はお宅に勤めていらっしゃる方で、色の白い、小柄な、愛嬌のある、……ああ、佐渡島君枝さんとおっしゃるのですか、……ところでその君枝さんのことですが、ざっくばらんに申せば、うちの倅《せがれ》がお恥かしいことに君枝さんに、……なんといってよいやら、……とにかく、まあ見染めたというのでしょうか……」
「……しとやかで、如何にも娘さんらしゅうて、そのくせ、働いてる動作がきびきびして、とても気持がええ――贅らなあかへんし、――そこを息子さんが見染めたと言やはるのんよ……」
 ……もう、あの娘さん以外の女と結婚するのはいやだと、倅はひとり息子で甘やかして育てているだけに、言いだしたらあとへ引かない、実は母親の自分としても、父親はなし、ほかに子供もなし、早く嫁を貰いたいとひそかに物色中である。ついては、何も倅の言いなりに君枝さんを……というわけでもないが、また、今すぐどうのこうのと思っているわけでもないが、しかし、一応倅の意見も尊重――といってはおかしいが、とにかく倅の思っている娘さんがどんなひとであるか、母親の責任としても知って置きたいという気持、……これは判っていただけると思うが、それについて、お頼みというのは、実は君枝さんの印象は一二度消毒に来られたから知っているものの、なんといってもおぼろげであるから、一度明日にでもうちへ寄越して貰えないか、――いえ、なに試験だとか、見合いだとか、そんな改まった大袈裟なものじゃなく、ほんのただ、いつものように働いていられる姿をちょっと見たいだけ、だから、君枝さんにはこのことは今のところ内密にしていただきたい云々。
「……そこで、あんたが今日わざわざ派遣されたいうわけやねん」
 寺田町から天王寺西門前まで並んで歩きながら、元子はひとりで喋った。
「そうオ?」
 自分の知らぬ間にそんな話が起っていたのかと、君枝はどきんと胸騒いで、二十歳という年齢が改めてくすぐったく想いだされたが、あまい気持はなかった。
 むしろ、なにか欺された気持が強かった。質屋の御寮人から執拗くいろんなことを問い訊されたことも、いやな気持で想い出された。
「そいで、行ってみて、どやったの?」
 元子は主任と同じようなことを訊いた。
「――どんな息子さんだったの?」
「さあ……?」
 母親に似て変に蒼い顔をした若い男が、長火鉢の前で新聞をあっちこっちひっくりかえしながら、そわそわうかがうようにこっちを見ていたことだけ、記憶しているが、それも随分漠然とした印象だったから、
「――どんな人か知らん。うちなんにも考えてへんかったもの」
 さすがに赧くなりながら、わりに正直に答えると元子は肱で君枝を突いた。
「あんた頼りないお子やなあ。敵の陣地へ飛び込んで、ぼやぼやしてたら、あかへんし。もっとしっかりしイぜ」
 自分だったら、すくなくとも、主任から行けと言われた時にぴんと来て、どんな学校を出た男か、教養があるかないか、ネクタイのこのみがどうかまで、一眼でちゃんと見届けてやるんだと、二十五歳の元子は、分厚い唇をとがらし、元子は実科女学校へ二年まで行ったのが自慢の、どちらかといえば醜い女であった。
 喫茶店の前まで来ると、
「あんた、ちょっと珈琲のんで行けへん? 今日は奢ってもらわな損や」
 元子が言い、さきに立ってはいった。
 君枝はちらっと他吉の顔を想い泛べたが、贅沢といっても、月に一度だからと珈琲二杯分三十銭
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