い出しの帰り廻り道して古着屋の前を通り掛った種吉は、店先を掃除している蝶子の手が赤ぎれて血がにじんでいるのを痛々しく見て、そのままはいって掛け合い、連れ戻した。
「よう辛抱したな。もうあんな辛い奉公はさせへんぜ」
 種吉は蝶子に言い言いしたが、間もなく所望されるままに女中奉公させた先は、ところもあろうに北新地のお茶屋で、蝶子は長屋の子に似ず、顔立ちがこじんまり整い、色も白く、口入屋はさすがに烱眼だった。何年かおちょぼ[#「おちょぼ」に傍点]をして、お披露目した。三年前のことである。
 が、種吉ははじめから蝶子をそうさせる積りはさらになく、じつは蝶子が自分から進んで成りたいといった時、おどろいて反対したくらい故、他吉がオトラに言った言葉は、一そう種吉の耳に痛かったのだ。
 種吉は他吉の家の戸をあけるなり、もう大声で、
「他あやん、さっきから黙ってきいてたら、お前えらい良え気なことを言うてたな」
「藪から棒に何言うてんねん? 羅宇しかえ屋のおばはんみたいな声だして……」
「お前うちのことあてこすってたやろが……」
「どない言うねん? いったい……訳わかれへんがな。――まあ、あがりイな」
「ここで良え!」
 突っ立ったまま、
「――胸に手エあてて、とっくり考えてみイ」
 精一杯の見幕をだしたつもりだったが、もともと種吉は気の弱い男で、おろおろと声がふるえて、半泣きの顔をしていた。
「さあ、なんぞ言うたかな」
「芸者がどないか、こないか言うたやろ。他あやん、お前わいになんぞ恨みあんのんか。えッ? お前に腐った天婦羅売ったか」
「ああ、そのことかいな。そう言うた」
 他吉は思い当って、
「――それがどないしてん?」
「芸者がなにが悪いねん?――そら、他あやんとわいとは派アがちがう。しかし、なにもわいが娘を芸者にしたからというて、あない当てこすらいでもええやないか。だいいち、お前あの時どない言うた……?」
 ……蝶子がお披露目する時、他吉はすこしでも費用が安くつくようにと、自身買って出て無料の俥をひいてやったが、その時他吉は……、
「……わいも今まで沢山《ぎょうさん》の芸子衆を乗せたが、あんな綺麗な子を乗せたことがない、種はん、ほんまに綺麗やったぜエ――と、言うたやないか」
「そやったな」
 三年前のことを想いだして微笑していると、
「それを今更あんなきついこと言うテ、どだい殺
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