……
「めったに俥なんか乗ったことのないくせに、この間、偶然あんたの俥に乗ったというのが、なにかの縁だろうな……」
他吉の俥のあとからよちよち随いて来る君枝の姿を見て、彼女はむかし松島の大火事で死なしたひとり娘の歳もやはりこれくらいであったと、新派劇めいた感涙を催し、盗んで逃げたい想いにかられるくらい、君枝がいとおしかった。夜どおし想いつづけ、翌日小屋に来て誰彼を掴えて、その奇妙な俥ひきの祖父と孫娘のことを語っているのを、玉堂がきいて、あ、それなら知っている僕の路地にいる男だと言うと、彼女は根掘り他吉のことをきき、祖父ひとり孫ひとりのさびしい暮しだとわかると、ぽうっと、赧くなって、わてもひとり身や。そして言うのには、あの人に後添いを貰う気持があるか訊いてくれ、わてにはすこしだが、貯えもある、もと通り小屋に出てもよし、近所の娘に三味線を教えてもよし、けっしてあの人の世帯を食い込むようなことはしない、玉堂はん頼みます云々……
「……年甲斐もなく、仲人を頼まれたわけだが、他あやんどないやね。君ちゃんの境遇を憐れんで、あんたと苦労してみたいと言うところが良いじゃないか。もっとも、あんたはどっか苦味走ったところがあるからね、奴さん相当眼が高いよ」
玉堂が言うと、他吉はぷっとふくれた。
「年甲斐もないちゅうのは、こっちのことや。阿呆なことを言いだして、年寄りを嬲りなはんな。わいはお前、もう五十四やぜ」
「ところが、先方だって五十一、そう恥かしがることはないと思うがな」
玉堂はそう言って、明日また来るから、それまで考えて置いてくれと、帰って行った。婆さんの名はオトラと言った。
他吉はぽかんとしてしまった。腹が立つというより、照れくさかった。からかわれた想いもあり、どんな顔の婆さんかと、想いだしてみる気もしなかった。
「此間《こないだ》のおばちゃん、うちへ来やはるのん?」
炬燵の火を見てやるために、蒲団のうしろから顔を突っこんでいると、君枝がぼそんと言った。
「早熟《ませ》たこと言わんと、はよ寝エ」
君枝のちいさな足を、炬燵の上へのせてやっていると、他吉はふと、ほんとうにあの婆さんが君枝いとしさに来てくれるのであれば、なんぼうこの子が倖せか、と思った。
すると、妙にそわついて来た。
他吉はその婆さんが来た時の状態を想像してみた。
朝、婆さんは暗い内に起きて、炊事を
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