へ手エ入れるもんやあれへん」
 すると、手を出して爪を噛むのだ。
「汚《ばばち》いことしたらいかん。阿呆!」
 呶鳴りつけると、下駄を脱いで、それを地面へぶっつけ、そして、泪ひとつこぼさず、白眼をむいてじっと他吉の顔をにらみつけているのだ。
 他吉はがっかりして子供のお前に言っても判るまいがと、はじめて小言をいい、
「お前はよそ様《さん》の子供|衆《し》と違《ちご》て、両親《ふたおや》が無いのやさかい、余計……」
 ……行儀よくし、きき分けの良い子にならねばならぬ、家で待っているのは淋しいだろうが、そうお祖父《じ》やんの傍にばかし食っついていては万一お祖父やんが死んだ時は一体どうする、ひとり居ても淋しがらぬ強い子供にならねばいけない、あとひとり客を乗せたら、すぐ帰る故、「先に帰って待って……」いようとは、しかし、君枝はどうなだめても、せなんだ。
 他吉は半分泣いて、
「そんなら、お祖父やんのうしろへ随いて来るか。辛度《しんど》ても構《かめ》へんか。俥のうしろから走るのんが辛い言うて泣けへんか」
 そして、客を拾って、他吉が走りだすと君枝はよちよち随いて来た。
 他吉は振りかえり、しばしば提灯の火を見るのだと立ち停って、君枝の足を待ってやるのだった。
 客が同情して、この隅へ乗せてやれと言うのを、他吉は断り、いえ、こうして随いて来さす方が、あの子の身のためだ、子供の時苦労させて置けば、あとで役に立つこともあろうという理窟が――、けれど他吉は巧く言えなんだ。
 よしんば、言えたにしても、――半分は不憫さからこうしているのだ、ひとりで置いといて寂しがらせるのが可哀想だから連れて走っているのだ、いや、マニラで死んだこの子の父親がいまこの子と一しょに走っているのだという気持が、客に通じたかどうか、――客を乗せたあとの俥へ君枝を乗せて帰る途、他吉はこんな意味のことを、くどくど君枝に語って聴かせたが、ふと振り向くと、君枝は俥の上で鼾を立てていた。
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「船に積んだアら
どこまで行きゃアる
木津や難波の橋の下ア…………」
[#ここで字下げ終わり]
 他吉は子守歌をうたい、そして狭い路地をすれすれにひいてはいると、水道場に鈍い裸電燈がともっていて、水滴がポトリポトリ、それがにわかに夜更めいて、間もなく夜店だしがいつものように背中をまるめて黙々と帰って来る時分だろう
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