生は、手をつなぎ合せながら、可憐《いじら》しそうに、お揃いの肩掛を買っていた。エレベーターがちょうど定員になったので、若夫婦にとり残された母親が、ふいと自分の年を想いだして、きゅうに淋しそうに次のを待っていた。独身者が外套のハネ[#「ハネ」に傍点]を落す刷毛《ブラシ》を買っていた。ラジオがこの人混みの中で、静かな小夜曲《セレナーデ》を奏していた。若い女中が奥さんの眼をかすめて、そっと高砂の式台の定価札をひっくり返してみた。屋上庭園では失恋者が猿にからかっていた。喫煙室では地所の売買が行われていた。待ち呆けを喰わされた男が、時計売場の前で、しきりと時間を気にしていたが、気の毒なことに、そこに飾られた無数の時計は、世界じゅうのあらゆる都市の時間を示していた。…………
 三階の洋服売場の前へひょっこりと彼が現れた。
――モーニングが欲しいんだが。
――はあ、お誂《あつら》えで?
――今晩ぜひ要るのだが。
――それは、……
 困った、といった顔つきで店員が彼の身長をメートル法に換算した。彼は背伸びをしたら、紐育《ニューヨーク》の自由の女神が見えはすまいかというような感じだった。しばらく考えてい
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