被告は、女が被告以外の男を愛している事実にぶつかって、それで激したのか。
答。反対です。私は彼女が何人の恋人を持とうと、何人の男に失恋を感じようと、そんなことはかまいません。なぜならば彼女が私と会っている瞬間、彼女はいつも私を愛していたのですから。そして、瞬間以外の彼女は、彼女にとって実在しないのですから。ただ、彼女が愛している男ではなく、彼女を愛している男が、私以外にあるということが、堪えられない心の重荷なのです。
問。被告が突き落した男が、彼女を愛していたということは、どうして解ったか?
答。それは、彼がちょうど私と同じように、私が彼女を愛しているかどうかを気にしたからです。
問。彼女の貞操観念に対して被告はどういう解釈を下すか。
答。もし彼女が貞操を守るとしたら、それは善悪の批判からではなく、一種の潔癖、買いたてのハンケチを汚すまいとする気持からなのです。持っているもの[#「もの」に傍点]を壊すまいとする慾望からです。彼女にとって、貞操は一つの切子硝子《カットグラス》の菓子皿なのです。何んかの拍子に、ひょっと落して破《わ》ってしまえば、もうその破片に対して何んの未練もないのです。……それに彼女は、精神と肉体を完全に遊離する術《すべ》を知っています。だから、たとえ彼女が、私はあなたのものよ、と言ったところで、それが彼女の純情だとは言えないのです。彼女は最も嫌悪する男に、たやすく身を任せたかもしれません。そしてまた、最も愛する男と無人島にいて、清らかな交際を続けて行くかもしれません。
問。判決が下れば、監獄は橋の向うにあるのだが、被告は控訴する口実を考えているか?
答。私は喜んで橋を渡って行きましょう。私はそこで静かに観音経を読みましょう。それから、心行くまで、シイカの幻を愛し続けましょう。
問。何か願い事はないか?
答。彼女に私の形見として、私の部屋にある鳩の籠を渡してやってください。それから、彼女に早くお嫁に行くようにすすめてください。彼女の幸福を遮《さえぎ》る者があったなら、私は脱獄をして、何人でも人殺しをしてやると、そう言っていたことを伝えてください。
問。もし何年かの後、出獄してきて、そして街でひょっこり、彼女が仇し男の子供を連れているのに出遇ったら、被告はどうするか。
答。私はその時、ウォタア・ロオリイ卿のように叮嚀《ていねい》にお辞儀をしようと思いま
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