ればならぬ。
 然も、シヨオペンハウエルは一八六二年に死んで居り、ニイチエの健全な意識が失はれるに至つたのは同じく八十九年の事であり、その間に少くとも三十年近い歳月が流れて居り、即ちその間に欧羅巴に於ける印度学上の著しい発達を見、殊にニイチエがその親友としてドイツセン博士の如き優秀な印度哲学者を持ち得た丈けのことはあつて、此の二人の思想家の仏教思想に対する理解は、殆ど同日に談ずることを許されない程にも、その深浅の程度を異にしてゐるのである。
 加之、曾つて一度びはあだかも師弟の関係とも言はる可き程のものを有つてゐた彼の二人の偉大な思想家等が、彼等の仏教思想を理解することの深い浅いに殆ど正比例して、一方のより低い哲学に対して他方のより高い哲学を、我々の前に提示してゐるといふのは一の興味ある事柄であり、殊に、より忌憚なく言へば、シヨオペンハウエルの理解した仏教思想の頂点が、其儘彼の哲学の到達し得たる最後の限界であり、これに対してニイチエの理解し得た限りの仏教が、結局に於て到達し得た高さまでは、彼の哲学も亦到達し得たと言ふに止まつてゐるといふのは、否、更に今一つを加へて言ふならば、其最も根本的な傾向に於て、畢竟シヨオペンハウエルが彼の言葉遣ひに於ける仏教徒より他の何物でもなく、それに対してニイチエが、彼の言葉遣ひに於ける仏教徒より以外の何物でもなかつたといふのは、前よりも一層興味ある事柄であると言ふ可きであらう。
 蓋し、シヨオペンハウエルに依れば、カントの所謂デイング・アン・ウント・ヒユウル・ジヒ、即ち実在若しくは本体は「生への意志」と称する一つの盲目意志であり、そして斯うした盲目意志の展開、又はその展開の所産としての、此の世界は最悪の世界であり、此の世界の中に営まれる此の生は最悪の生であらねばならぬ。
 従つて、斯の如き最悪の世界から自らを救ひ出し、斯の如き最悪の生から解脱する為めの方法は、右の「生への意志」といふ一の盲目意志を滅却し、又は停止し去るより他にあり得ない。然かも斯うした「生への意志」を否定し去るのは一は芸術的享楽に依る意志否定であり、他は宗教的禁慾に依る意志否定である。
 より詳しくは、芸術的享楽に依る意志否定といふのは、所謂天才的直感を通じての芸術的陶酔が、少くともその刹那に於て、私共をカント哲学なぞに言ふところの無関心な状態に置き、従つて私共の生への
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
生田 長江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング