書から直接に材料をとって来たものであった。この『骨董集』を読んでいるうちに、福沢先生の『西洋旅案内』『学問のすゝめ』『かたわ娘』によって西洋の文明を示されたのである。(この『かたわ娘』は古い従来の風俗を嘲《わら》ったもので、それに対抗して万亭応賀《まんていおうが》は『当世利口女』を書いた。が私には『当世利口女』はつまらなく『かたわ娘』が面白かったものである。)
 新らしい文明をかくして福沢先生によって学んだが、『骨董集』を読んだために、西鶴が読んでみたくなり出した。が、その頃でも古本が少なかったもので、なかなか手には入らなかった。私の知っていた酒井藤兵衛という古本屋には、山のようにつぶす古本があったものである。何せ明治十五、六年の頃は、古本をつぶしてしまう頃だった。私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、池《いけ》の端《はた》の「バイブル」、駒形の「小林文七」「鳥吉」などから頻《しき》りに西鶴の古本を漁《あさ》り集めた。(この「鳥吉」は、芝居の本を多く扱っていたが、関根只誠《せきねしせい》氏がどういう都合かで売払った本を沢山私のところにもって来てくれたものである。)中川
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