屋にいた職人が、五年ばかり前まで、上野のいとう松坂の横で凧屋をしていたが、この人の家の奴凧も、主家のを写したのであるから、やはり三津五郎の顔であった。
 それからもう一つ、私の近所で名高かったものは、両国の釣金《つりきん》の「堀龍」という凧であった。これは両国の袂《たもと》の釣竿《つりざお》屋の金という人が拵《こし》らえて売る凧で、龍という字が二重になっているのだが、これは喧嘩凧《けんかだこ》として有名なもので、随《したが》って尾などは絶対につけずに揚げるいわゆる坊主凧《ぼうずだこ》であった。
 今日でも稀《まれ》には見掛けるが、昔の凧屋の看板というものが面白かった。籠《かご》で蛸《たこ》の形を拵らえて、目玉に金紙が張ってあって、それが風でくるりくるりと引っくり返るようになっていた。足は例の通り八本プラリブラリとぶら下っていて、頭には家に依《よ》って豆絞《まめしぼ》りの手拭《てぬぐい》で鉢巻をさせてあるのもあり、剣烏帽子《けんえぼし》を被《かぶ》っているものもあったりした。
 この凧遊びも二月の初午《はつうま》になると、その後は余り揚げる子供もなくなって、三月に這入ると、もう「三月の下
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