瓦の今戸人形」(明和年間)とも見ゆ。予記憶せる事あり、回向院門前にて鬻げる家にては皆声をかけ「しごくお持ちよいので御座い」とこの言葉を繰返へしいひ居《お》りしが、予、日々遊びに行けるよりなじみとなり、大《おおい》なる布袋《ほてい》の人形をほしいといへるに、連れし小者《こもの》の買はんとせしに、これは山城《やましろ》伏見《ふしみ》にて作りし物にて、当店の看板なればと、迷惑顔《めいわくがお》せし事ありしが、京より下り来し品も、江戸に多くありけるものと見えたり。或る人予に、かゝる事を聞かせし事あり。浅草田圃の鷲《おおとり》神社は野見《のみ》の宿禰《すくね》を祀《まつ》れるより、埴《はに》作る者の同所の市の日に、今戸より土人形を売りに出してより、人形造り初めしとなん。余事なれど酉《とり》の市とは、生たる鶏を売買せし也。農人の市なれば也。それ故《ゆえ》に細杷《こまざらえ》も多く売りしが、はては細杷のみにては品物|淋《さび》しきより、縁起物といふお福、宝づくしの類を張り抜きに作り、それに添へてかき込め/\などいふて売りけるよし、今は熊手《くまで》の実用はどこへやら、あらぬ飾物となりけるもをかし。

前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
淡島 寒月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング