江戸の玩具
淡島寒月
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)跳《はね》たり
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)東海道|亀山《かめやま》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)かき込め/\
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浅草の飛んだり跳《はね》たり
右は年代を寛政といふ人と文政頃といふ人とあり、原品は東海道|亀山《かめやま》お化《ばけ》とて張子にて飛んだりと同様の製作にて、江戸黒船町辺にて鬻《ひさ》ぎをりしを後、助六《すけろく》に作り雷門前地内にて往来に蓆《むしろ》を敷きほんの手すさびに「これは雷門の定見世|花川戸《はなかわど》の助六飛んだりはねたり」と団十郎の声色《こわいろ》を真似て売りをりし由にて、傘の飛ぶのが面白く評判となり、江戸名物となりけるとの事。後は雷門より思ひ寄り太鼓を冠《かぶ》りし雷を造り、はては種々の物をこれに作り売りける由。安政に雷門の焼け失せしまでは売りをり、後久しく中絶の処、十余年前よりまたまた地内にて売るを見る。されどよほど彩色等丁寧になり、昔わが子供(六十年前)時代の浅草紙にて張れる疎雑《そざつ》なる色彩のものとは雲泥《うんでい》の相違にて上等となつた。狂言にたずさはりし故人某の説に、五代目か七代目(六代目は早世《そうせい》)かの団十郎が助六の当り狂言より、この助六を思ひ浮べ、売り出せりとも聞きしが、その人もなく、吾が筆記も焼け、確定しがたき説となつた。
亀戸《かめいど》の首振《くびふり》人形 一名つるし
初めは生《いき》た亀ノ子と麩《ふ》など売りしが、いつか張子の亀を製し、首、手足を動かす物を棒につけ売りし由。総じて人出《ひとで》群集《ぐんしゅう》する所には皆玩具類を売る見世《みせ》ありて、何か思付《おもいつ》きし物をうりしにや。この張子製首振る種類は古くからありて、「秋風や張子の虎の動き様」など宝暦頃の俳書にもあり、また唐辛奴《とうがらしやっこ》、でんがく焼姉様、力持、松茸背負女、紙吹石さげたる裸体男《はだかおとこ》など滑稽な形せしもの数ありて、この類は皆一人の思付きより仕出《しだ》せしを、さかり場あるいは神社仏閣数多くある処にて売り、皆同一のつくり様にてその出来しもとは本所《
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