ことですが、当時は原語そのままにオムニバスと呼んだものです。このオムニバスは紀州の由良という、後に陛下の馭者《ぎょしゃ》になった人と私の親戚に当る伊藤八兵衛という二人が始めたもので、雷門に千里軒というのがあって此処《ここ》がいわば車庫で、雷門と芝口との間を往復していたのです。この車台は英国の物を輸入してそのまま使用したので即ち舶来品でした。ですから数はたった二台しかありませんでした。馬は四頭立で車台は黒塗り、二階は背中合せに腰掛けるようになっていて梯子《はしご》は後部の車掌のいる所に附いていました。馭者はビロードの服にナポレオン帽を戴《いただ》いているという始末で、とにかく珍らしくもあり、また立派なものでした。乗車賃は下が高く二階は安うございました。多分下の方の乗車賃は芝口から浅草まで一分《いちぶ》だったかと思います。ところがなにしろその時分の狭い往来をこんな大きな、しかも四頭立の馬車が走ったものですから、度々《たびたび》方々で人を轢《ひ》いたり怪我をさせたので大分評判が悪く、随《したが》って乗るのも危《あぶ》ながってだんだん乗客が減ったので、とうとうほんの僅かの間でやめてしまいました
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