れてあるような事はない。総てにおいてその時代やその人物やその他に調和するよう誠実に舞台が造られているのである。この点においては正直にいえば西洋物だとても、どれもこれもいいとはいえないが、しかし日本物に較べたら、さすがに一進歩を示している。日本物もこういう舞台装置の点についても一考をわずらわしたいものである。しかしこういう事は、趣味性の発達|如何《いかん》に依《よ》ることであるから、茲《ここ》暫《しばら》くは西洋物のようになる事はむずかしいであろう。
 近頃フィルムに現われる諸俳優について、一々《いちいち》の批評をして見た所で、その俳優に対する好き好きがあろうから無駄な事だが、私は過日帝国館で上場された改題「空蝉《うつせみ》」の女主人公に扮したクララ・キンベル・ヤング嬢などは、その技芸において頗る秀《ひい》でたものであると信じている。もっとも私は同嬢の技芸以外この「空蝉」全篇のプロットにも非常に感興を持って見たし、共鳴もしたのであった。そもそもこの「空蝉」というのは、原名をウイザウト・エ・ソールといい、精神的に滅んで物質的に生きたというのが主眼で、この点に私が感興を持ち共鳴を持って見たの
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