活動写真
淡島寒月
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)赴《おもむ》いて
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)東|印度《インド》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正六年十二月『趣味之友』第二十四号)
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)芽出《めで》たし/\
−−
日本の活動写真界の益々進歩隆盛に赴《おもむ》いて来るのは、私のような大の活動写真好きにとっては誠に喜ばしい事である。私は日本製のものは嫌いで見ないから一向《いっこう》知らないが、帝国館や電気館あるいはキネマ倶楽部などの外国物専門の館へは、大概《たいがい》欠かさず見に行く。しかして回を追って、筋の上にも撮影法の上にも、あらゆる点において進歩しつつあるのを見るにつけて、活動写真も茲《ここ》十年ほどの間に急速の進歩をしたものだと感心せずにはおられない。
一番初め錦輝館で、そもそも活動写真というものを興行した事がある。その時は、海岸へ波が打上げる所だとか、犬が走る所だとかいったような、誠に単純なもののみのフィルムで、随《したが》って尺も短いから、同じものを繰り返し繰り返しして映写したのであった。しかしながら、それでさえその時代には物珍《ものめず》らしさに興を催したのであった。今日の連続物などと比較して考えて見たならば、実に隔世の感があるであろう。
ところで、かつて外人の評として、伊太利《イタリー》製のものはナポリだとかフローレンだとかローマとかを背景にするから、クラシカルなものには適当で、古代を味うには頗《すこぶ》る興味があるが、新らしい即ち現代を舞台とする筋のものでは、やはり米国製のものであろうといっているけれども、米国製品にしばしば見るカウボーイなどを題材にしたものは、とかくに筋や見た眼が同一に陥《おちい》りやすくて面白味がない。けれども探偵物となるとさすがに大仕掛《おおじかけ》で特色を持っている。しかしこれらの探偵物は、ただほんのその場限りの興味のもので、後で筋を考えては誠につまらないものである。
三、四年前位に、マックス、リンダーの映画が電気館あたりで映写されて当りをとった事がある。ちょっとパリジァンの意気《いき》な所があって、今日のチャプリンとはまた
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
淡島 寒月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング