」に傍点]な言葉とを半混ぜに使うようになったものに違いない。
七番の客の名刺には大津弁二郎《おおつべんじろう》とある、別に何の肩書きもない。六番の客の名刺には秋山松之助とあって、これも肩書きがない。
大津とはすなわち日が暮れて着いた洋服の男である。やせ形《がた》な、すらりとして色の白いところは相手の秋山とはまるで違っている。秋山は二十五か六という年輩で、丸く肥えて赤ら顔で、目元に愛嬌《あいきょう》があって、いつもにこにこしているらしい。大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの田舎《いなか》の旅宿《はたごや》で落ち合ったのであった。
『もう寝ようかねエ。随分|悪口《あっこう》も言いつくしたようだ。』
美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手にしゃべって、現今《いま》の文学者や画家の大家を手ひどく批評して十一時が打ったのに気が付かなかったのである。
『まだいいさ。どうせ明日《あした》はだめでしょうから夜通し話したってかまわないさ。』
画家の秋山はにこにこしながら言った。
『しかし何時《いくじ》でしょう。』
と大津は投げ出してあった時計を見て、
『おやもう十一時過ぎだ。』
『どうせ徹夜でさあ。』
秋山は一向平気である。杯を見つめて、
『しかし君が眠けりゃあ寝てもいい。』
『眠くはちっともない、君が疲れているだろうと思ってさ。僕は今日《きょう》晩《おそ》く川崎を立って三里半ばかしの道を歩いただけだから何ともないけれど。』
『なに僕だって何ともないさ、君が寝るならこれを借りていって読んで見ようと思うだけです。』
秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取り上げた。その表紙には『忘れ得ぬ人々』と書いてある。
『それはほんとにだめですよ。つまり君の方でいうと鉛筆で書いたスケッチと同《おんな》じことで他人《ひと》にはわからないのだから。』
といっても大津は秋山の手からその原稿を取ろうとはしなかった。秋山は一枚二枚|開《あ》けて見てところどころ読んで見て、
『スケッチにはスケッチだけのおもしろ味があるから少し拝見したいねエ。』
『まアちょっと借して見たまえ。』
と大津は秋山の手から原稿を取って、ところどころあけて見ていたが、二人はしばらく無言であった。戸外《そと》の風雨の声がこの時今さらのように二人の耳に入った。大津は自分の書いた原稿を見つ
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