《ほぼ》世間でも嗅《か》ぎつけていた事実で、これには誰《たれ》も異議がなく、但《ただ》し三人の中《うち》何人《だれ》が遂に梅子|嬢《さん》を連れて東京に帰り得《う》るかと、他所《よそ》ながら指を啣《くわ》えて見物している青年《わかもの》も少くはなかった。
法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から以西《いせい》、何川辺までの、何町、何村、字《あざ》何の何という処々《しょしょ》の家の、種々の雑談に一つ新しい興味ある問題が加わった。愈々《いよいよ》大津の息子はお梅さんを貰《もら》いに帰ったのだろう、甘《うま》く行けば後《あと》の高山の文《ぶん》さんと長谷川の息子が失望するだろう、何に田舎《いなか》でこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は沢山《やれ》にありますから後の二人だってお梅さんばかり狙《ねら》うてもおらんよ、など厄鬼《やっき》になりて討論する婦人連もあった。
或日の夕暮、一人の若い品の佳《い》い洋服の紳士が富岡先生の家の前えに停止《たちど》まって、頻《しき》りと内の様子を窺《うかが》ってはもじもじしていたが遂に門を入《はい》って玄関先に突立《つった》って
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